Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

恥じらいも愚かさも強さもみっともなさも、開け放つこと。

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死にゆく人と 共にあること

以前から会いたいと思っていた

ジョアン・ハリファックス老師の講演会に

参加してきた。

老師は、禅の指導者であり、

かつ終末期医療におけるケアのスペシャリストとして、

日本でも実践を指導している方。

 

講演は”予想通り”素晴らしいものだった。

なぜなら師の著書

「死にゆく人と共にあること」が

そもそも素晴らしいこと、そして

師の「compassion (深い思いやり)」

についての”TED”トーク

何度も見ていて

師の人柄に既に魅了されてたから。

 

【TED トーク

ジョアン・ハリファックス:

慈悲、そして共感の真の意義について
http://go.ted.com/morPLw

 

講演の内容は著書の内容に沿いつつ、

時間の関係で究極的に削ぎ落とされたものだったけれど、

それがかえって師のメッセージ

「死を(医療化されたもの)から

”コンパッションによっていのちの営みへ”取り戻す」を、

シンプルかつソリッドに伝えることなった気がする。

死にゆく人と共にあること: マインドフルネスによる終末期ケア

死にゆく人と共にあること: マインドフルネスによる終末期ケア

オーラバトラー

僕の友人が、

「アートとは、出会ってしまったが最後、

 その人が変わらざるをえないもの。」と

定義するといっていた。

 

 ジョアン・ハリファックス老師も

その知識や実績とは”全く別の次元”で

僕らの”ソウル”が感応する、「オーラ」に満ちていた。

英語で語ろうと通訳を介そうと

(通訳は、我らがマインドフルネス・ディーヴァ、木蔵シャフェ君子さん!

 彼女自身の”オーラ”含めて素晴らしかった!)

出逢う人が、”何かしら変わらざるを得ない”

真摯で、柔らかで、慈しみ深く、そして確固たる

”オーラ”が共にあった。

 

僕らは自分で自覚していてもいなくても

そんな”オーラ”を放ち、感じる能力を実は豊かに備えてることも

あらためて気付かされた。

経験や知識、実績が関係ないとは言わないけれど

何を言うか、ということよりも絶対的に

その生き様、生きる態度が放つ”オーラ”を纏う。

 

ハリファックス老師の佇まいに

浮かんできたイメージは

「オーラ・バトラー」だ!

 (古くてごめんwww。)

(参考:過去記事) 

satoryoki.hatenablog.com

ちが~う!

そんなことを書きたかったんじゃない!

 

ともかく!

 

ハリファックス老師の「存在感」は

「ほんとうに開け放たれている」感がすごかった!

 

師が経験したであろう喜びも悲しみも知識も経験も

恥じらいも愚かさも強さもみっともなさも

まるごとそこに置いてあるようなのだ。

 

そしてどこの誰だろうと

亀だろうと人間だろうと病人だろうと

男であろうと女であろうとどちらでもなかろうと

師のそばに「いる」ことに何の抵抗も感じず

ただそこに”そのままに”いていいという安心感。

 

師は開け放たれたまま、

世界に出会い、話し、和む。

その感じ!

 

日が経つにつれ、あらためて

師の「ほんとうに開け放たれた存在感」の

凄さと安らかさを

思い出さずにはいられない!

あれを”オーラ”と呼ぶのだ!

 

 (参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

この世界を変えてゆくもの

その「自分を開け放つこと」は

僕にとって最重要な命題だ。

 

もちろん、自分自身がいつも

「アンロック」をキーワードに

「開け放たれている」ことに清々しさを感じ

「開け放たれている」ことで自分と周りがどうなるのかを

  見届けようと思っている。

だからこそ、

出逢う人すべての「開け放たれた存在感」に

やっぱり僕は”変わらざるを得ない”し

”受け取る学び”という変化の喜びを感じるのだ。

 

たとえどんなに「経験や知識や実績や”社会的称号”」があっても

どこか「閉ざされた感じ」のある人には

やはり僕は気づいてしまう。

 

そしてこちらも「閉ざしてしまう」感じを

自分の中に感じてしまう。すると、

「経験や知識や実績や”社会的称号”」から

学びとして受け取ることは

圧倒的に狭く、難しくなってしまう。

 

素晴らしい出会いだった。

やっぱり、人に影響を与え

この世界を変えてゆくものは

この「開け放たれた存在感」が、

その人にあるからなのだろう。

 

やはり、”ホンモノ”に会うことに勝る学びはない。

 

そうだ。

ハリファックス老師の著書の中には

「透明さ」と表現されているものがある。

 

長くなったのでそれは、次回。

 

Unlock yourself.

Unlock your Aura.

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記憶という名のキャッシュ


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✳以前走り書いた雑文ですが、旅の車窓を流れる風景に誘われて

 若干rewriteしてアップします。列車の旅はいいものですね。

ヨルダンの夕日

過ごした日の数だけ、夕陽はあった。

でも今日の夕陽は人生でいちばん美しい。

なぜなら、誰にとっても

今日しか人生はないからなのだ。

なのにいつか見たヨルダンの夕日を思い出しては、

青春の甘酸っぱい記憶とやらに思いが馳せてしまう。

思いは、勝手に馳せるのだ。

目の前の夕陽を味わうことを忘れてさえも。

 

Macbookの嘆き

どうにも調子が悪く、買い換えを決めたMacbookは、

どうやらファイルのくずで身動きがとれなくなったのかもしれない。

キャッシュとやらの一時的なファイルでさえ、

溜まってくればそれを生み出したそのものの私自身の自由を奪う。

因果なものだ、といって嘆くことが

また新たな因果になってしまうから、

海援隊の「少年期」 でも歌って

少しの間、卑屈さを楽しんでおこう。

(参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

 

ところで、帰り道に寄った

いつものテイクアウト・カフェの店員さんは、

いつものように笑顔でむかえてくれた。

この美しい夕日が見れないとしても、

彼女の"今この時の"笑顔は

すっと僕の中に滑り込んできた。

 

記憶というキャッシュ

ハードディスクをSSDに換装されたMacbook

いままでが嘘のように生き生きと甦った。

人はどうなんだろう。

むしろ人はその点、いつでもどこでも甦ることができる。

思いが馳せる先が記憶であるなら

記憶は、ハードディスクというよりは

「私」という仮想の貯蔵庫であるキャッシュ。

キャッシュはいつでもクリアできるのだから。

 

Unlock yourself.

Unlock your cache.


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もっと、立ち止まってもいい。

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彼岸明けの彼岸参り

今週はお彼岸の分の檀家参りをしています。

家々を巡って仏壇にお参りさせて頂き

少しお茶を御馳走になって、世間話を楽しみます。

 

普段、仏事でお会いするのは主に男性陣ですが

世界を牛耳っているのはもちろん女性(笑)

うちの地域に”月参り”はありませんので

普段お会いすることが限られている

その女性の皆さんにお会い出来る大切な機会です。

もうお彼岸終わってるやん!

と突っ込まれる御仁もおありでしょうが(汗)

すこしゆっくりお話をするためにも

”お彼岸前後”に、ゆとりをもってまわっています。

 (参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

 オオイヌノフグリ

あるお宅にお邪魔すると

90を過ぎた”大おばあちゃん”が

畑のあぜの草取りをしていました。

僕が来たのに気づくと

曲がった腰をゆっくり起こして

ゆっくりと家の方に向かってきます。

僕の内心に

(あ、勝手にお参りするから来なくても…)

と、邪念が?よぎったものの

ゆっくらおっこら歩く”大おばあちゃん”の姿が

どこか愛おしく、その場で待っていて

一緒にゆっくり家へ歩きました。

 

ちょっとした段差で”大おばあちゃん”が立ち止まり

ふぅ〜っと一息。

するとその足元に、青く可愛らしい”オオイヌノフグリ”が

可憐に咲いていました。

 

Spring is come.

大おばあ「あらぁ、めんこいねぇ。」

和尚「春が来てますねぇ。」

大おばあ「んだね、春だねぇ。」

 

そうつぶやきあうと、またゆっくらおっこら

家に向かって2人は歩き始めました。

 

世の中は年度の端境で忙しい様子。

 

でも、私たちはもっと立ち止まって…

それは決して「人生論」的な意味ではなく

まさに「1分2分、ほんとに立ち止まって」

「実際に一息ついて」

「ゆっくりあたりを見回して」

「足もとを確かめる」

 

今、そこにある世界を味わう。

そんなことがあっていいんだと思う。

 

もっと、立ち止まろうかな。

 

Unlock yourself.

Unlock your movement.

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