遅すぎる誕生日のお礼。
生きている不思議
たくさんの誕生日お祝いメッセージ、ありがとうございました。
今日は10月7日。私の誕生日は8月10日だったので、およそ2ヶ月遅れのお礼になります。なぜこんなに遅れたかというと、単純に気持ちを言葉にすることができなかったからです。
東日本大震災で津波に遭って以来、人生の地軸が変わってしまった。それまでもそれなりに頑張ったり喜んだり苦しんだりしてきた気もするが、いまとなっては思い出せない。今こうして生きていて、パソコンを叩いて友人からの祝福にお礼を述べるなんて、本当に奇跡のようだ。
本当に、奇跡なんだ。
解けはじめた謎
なんとなく”こういうもの”だと思っていた人生が、じつは全く違うということに気づき始めている。大雑把に言ってこれまでの人生は「ホスピス」「海外」「子育て」「寺」が、関心事だった。それぞれボランティア、バックパッキング、4人の子の父、そして文字通り寺の住職としての生活と、出来ることをしてきたつもりだったし、それなりの満足感や達成感も無くはなかった。ところが、九死に一生を得るという経験後、全ての抽象度がひとつ上がり、それぞれが今まで気付かなかった「何か意味のある関連性」を持って見えてきたのだ。スピリチュアルなものではなく、もっと実感を伴うコネクティングドッツ。ようやくその”線”が見えてきたのかもしれない。
感謝は”する”ものではなく”湧き出るもの”
こうして生きていることに心から感謝の気持ちが湧き起こってくる。感謝とは自分の意志によってするものではなく、湧き出てきてどうしようもないものだ。
誕生日のたくさんの祝福のメッセージをみて、ありがとう、ありがとう、という気持ちが湧き出て仕方がなかった。それはちょっと申し訳ないがメッセージをくれた個々の友人知人に向けたものではなく、”生きている不思議さそのもの”への感謝、とでもいうものだ。
その感謝の気持ちに動かされ、ブログを書くことにした。これから書いていくブログはすべて、誕生日の祝福へのお礼として書かれていくことになる。
自分の使い方は世界が決める
あまりにも巨大な悲しみや喪失が東日本大震災と大津波によってもたらされた。その悲しみや喪失についてはここでは書かない。
しかし同時にこの4年間には本当に多くの素晴らしい出会いがあり、その出会いによって人生の地軸がどんどん傾いていった。もしくはそもそも傾いていたものが「ほんとうのバランス」を取り戻しているのかもしれない。
感謝の気持ちと同じで、人生も”こう生きよう”と思っているとどうやら不自由になってくるようだ。なぜなら”こう”という部分は結局自分の価値観、思い込みでしか無くて、それらは本質的に今まで”誰かに吹きこまれた”ものである可能性がとても高いからだ。”こう生きよう”と思うことはつまりほかの誰かの価値観の寄せ集めを生きようとすることでしかないということなのだ。
むしろ自分をオープンにしていくことで、たくさんの出会いが生まれる。たくさんの出会いによって私が変化していく。オープンにしてゆくことで、ほかの誰かが”私の価値にアクセスしてくる。自分の生きているそのままがオープンであればあるほど他(つまり世界)は”私”にアクセスしやすくなり、私の価値は私の意志とは無関係に世界にとって有効に使われていく。そんなある意味とても不思議で心地よい循環を体験している。これを私たちは"生かされる””活かされる”というコトバであらわしてきたのだ。
自分の生き方を自分が決めるのではなく、自分の使い方は”世界”が決めてくれる。そんな面白さを味わっている。
オープンであるという恐怖と快感
地軸が変わり、ものの見え方が変わってしまった人生。私にとって「オープンである」ことが本当に重要なキーワードになっている。オープンであればあるほど、今までの自分の体験というリソースが他人や社会に使われる。そうはいってもオープンであることはなにか空恐ろしい。誰かからの批判、攻撃、恥ずかしさ、プライド…”空・恐ろしい”、つまりまだ何も起こる前から”空想”、思考の中で恐ろしがっているだけなのだ。
にもかかわらず、誰もがオープンであることの快感も知ってる。この誕生日の祝福でさえ、ネットという空間で”私”がオープンであるがゆえに起こった奇跡であり、この上ない快感・体験でもある。私は「アンロック」という言葉を使おうと思う。私の中にある、たくさんの「空恐ろしさ」を一つずつ解除していこう。
このブログは、そのオープン・アンロックである恐怖と快感がせめぎあいながら、それでも体験である”快感”を追い求める実験でもある。
私の人生は、‘私の体験‘でしかないのだから。
Unlock yourself.
Unlock your life.