Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

人は”歓喜”によって生かされている

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個人的な被災者として

津波に遭ってしまった私は

個人的に”被災者”だった。

家も、家族も無事ではあったけれど

津波の体験は

私を被災者にした。

 

”その日”から約2週間

無事に家に帰ってきてはいたものの

精神的にとても不安定な状態にあった。

 

頻繁に聞こえるヘリコプターの音。

電気もなくしんしんと冷える夜。

終わることのない余震。

家族を失う恐怖。

このままおかしくなってしまうのではないかという

漠然とした恐怖も

無言でこちらを伺っているかのようだった。

 

そんな中、近所のおばあちゃんと交わした抱擁は

生きている実感と喜びを蘇らせてくれた。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

”お茶飲み”

心情的に被災者だった私は

その後もしばらくは不安定で

極力家から離れることを避けていたが

心のなかでは”あの日”を共有した

沿岸の人たちが今どうしているか

心配で

恐ろしくて

申し訳なくて

どうしようもなくて

何か

何かできることをしたいと思っていた。

 

いろんなご縁に導かれ

5月から”お茶っこサロン”という名で

若いお坊さんたちの協力を得

避難所で”お茶飲み”活動をすることになった。

 

初めての日は本当に緊張しながら避難所を訪ね

差し障りの無いように

言葉を選び

顔色を伺いながらの”お茶飲み”だった。

 

私は緩和ケア病棟(ホスピス)で

同様の”ティータイム”というボランティアを

がんの患者さんとご家族を対象にしており

この”お茶飲み”が

被災者の方々に”必要”であることは

経験上確信してはいたけれど

それでもほんとうに必要なのかどうか

不安なまま初日の活動を終えた。

帰り際、避難所の責任者の方に

「よかったらまた来てください…」

と言ってもらい本当に救われる思いだった。

 

回数を重ねるうちに

ある程度避難所の皆さんとも顔見知りになり

信頼関係も生まれてきた。

 

「心配」という活動をする「友人」

この活動は

それぞれが自分の意志で活動し

報酬を求めないという意味において

「ボランティア活動」と呼ぶことは躊躇しない。

けれど

この活動は「傾聴」ではなく

私たちは「ボランティアさん」ではない。

ご近所としての私たちが

”心配だからお茶もって顔見に来た”

止むに止まれぬ思いでとりあえず来た。

この活動は「心配」であり

私たちは「友人」である

そういうものだと皆で確認し合い

避難所に足を運んだ。

 

狂おしいほどの歓喜

ある日の活動を終え

避難所である体育館を後にしようとすると

ちょっと待ってください…と

避難所の自治会長さんに呼び止められた。

 

  皆さん、いつもこうして来てくれる和尚さんたちに

  こんな状況じゃ何もお礼できないから…

 

  せめて拍手してお礼しませんか!

 

とマイクで呼びかけてくれた。

 

悲しみと不安の

グレーのカーテンを引いたような

その避難所の体育館に

 

場違いなほど

 

祝福に満ちた

 

いっぱいの拍手が鳴り響いた。

 

「またきてね!」 「ありがとう!」

「コーヒー美味しかったよ!」

 

私たちは

私たちは

 

涙を拭きながら深く頭を下げ

狂おしいほどの歓喜に震えながら

逃げるようにその場を去った。

 

それは本当に

狂おしいほどの歓喜だった。

 

ハピネスの創造主

人は

ボランティアや無償の奉仕を賞賛し

心の中で熱望している。

 

ただし

例の”ロック”がかかっていて

それを素直にすることができない。

satoryoki.hatenablog.com

 

でも、だからこそ

ロックのかかった疼きによって

ボランティアや無償の奉仕を

さらに賞賛し熱望する。

 

なぜ、熱望するのか。

 

それは

”ハピネスの創造主”になれるからだ。

相手にハピネスを与えるのではなく

自己犠牲などでもなく

自分と他人が

ボランティアや無償の奉仕を介して

世界にハピネスを創造してしまうのだ。

 

”ハピネスを創造する”

その体験をすることは

何ものにも代えがたい喜びであり

自分と他人の境界が消え

バラバラだった世界が一つになる

狂おしいような歓喜そのものなのだ。

 

”歓喜”によって突き動かされる

その後も私たちは

何度も何度も

歓喜を味わい

その歓喜に突き動かされ

また避難所に足を運んだ。

 

この活動によって

”救われた”のは誰だろう?

それは、私たち自身だった。

 

人は、”歓喜”によって突き動かされ

生かされているのだ。

 

Have a good day, and peace.

 

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