Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

ブッダに会うという冒険

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全ては”おもちゃ遊び”だった

震災前、

私は”普通の悪くない坊さん”だったと思う。

いわゆる世間が期待するところの

葬式法事をして

遺族を慰め

寺院という地域の拠り所を守り

ご先祖様との繋がりを

地域とともに学び育ててゆく。

 

それなりに勉強もし

それなりに工夫もし

それなりに檀家さんとも交わり

それなりに、仏教を説き

それなりに生き死にを背負って

それなりに、それなりだった。

 

しかし

あの日以降

”トラックの上”というはかりで

”それなり”だと思っていたものを

測りなおしてみると

 

恥ずかしながら


ごめんなさい

 

ほぼ全ては

 

”おもちゃ遊びだった”。

 

satoryoki.hatenablog.com

私そのものの存在価値

”お茶っこサロン”活動の

回を重ねていくうちに

たくさんの

”救われる”体験をした。

それは救われると同時に

”ハピネスを創造する”体験であり

歓喜の体験だった。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

紙とインクで記された仏典

しかし

同時に

やはり”宗教者だから”打ち明けられるのであろう

被災者の方々の悲痛な叫びは

質・量ともに

自分の無力さを思い知らされ

”宗教者として”の私を超えて

”私そのものの存在価値”を

少しずつ不安定なものにしていった。

 

変わらない現実

数えきれない悲しみ

積み重なっていく疲労

 

たとえ”それなり”だったとしても

私の拠り所は仏教なはずだ。

私の有り様を導く

この現実を説明する

なにか救いの言葉はないか

 

いつの間にか

手当たり次第仏典を読み返していた。

 

生々しい現実の感触の前で

何世代にわたって”語り継がれすぎたような”仏典は

どうしても

どうしても

私にとって

交わることのない

紙とインクの集合にしか

感じられなくなってきていた。

 

ブッダと呼ばれる”本物の誰か”

それでも

すがるような思いで

本を探し読み続けるるうちに

読む本はいつのまにか

お釈迦様の時代に近いとされる

いわゆる原始仏教と

まさに現代において”生きて”

”生きた”仏教を説く仏教者の本という

最も時間を隔てた二者に

なんとなく収まってきた。

その二者は

どこか素朴で臨場感があり

インクと紙以上の

何か本物の"手ざわり"を

感じさせるのだった。

 

そんなある日


本当に不意に


仏教徒なら”当たり前”の

むしろ当たり前すぎて

口に出すことを想像もできないような

あるアイディアが

まさに降って湧いてきて

それまでアタマで悶えていた

自分自身そのバカバカしさに驚き

そして

何かを、アンロックした。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

そうか。

私は

 

ブッダ(覚者)に会いたいんだ。

 

お釈迦様でもいい

今生きている誰かでもいい。

”本物の誰か”に会いたい。

 

ブッダに”直に”会って

この現実について

みなの悲しみついて

私について

聞きたい。

学びたい。

 

仏教とは”ブッダ教”なのだ。

覚者の教えではないか。

 

ブッダに会いたい。

学びたい。

そうでなければ

”坊さんである”ことが

私にとってまったく意味がない。


紙とインクに生命を吹き込むような

ブッダに会いたい!

 

最も"当たり前”で”ファンタジック”!

そうか。

ブッダに会えばいいんだ!

 

その人がブッダかどうかは

会ってみないとわからないけれど

少なくとも

会いに行こう!

行って確かめよう!

この目で確かめよう。

もし

もしも万が一にも

ブッダに出会えたら

こんなにすごいことはないじゃないか!

 

その日から

ようやく”おもちゃ遊び”ではない

”本当の仏教”

”ほんとうに自分がすべきこと”に

人生の舵が切られたのだ。

 

”普通の坊さん”ではもういつづけることはできない。

ブッダと呼ばれる

”本物の誰か”に会おうという

仏教者にとって最も”当たり前”で

しかし非常に”ファンタジック”な冒険が


ようやく


ようやく始まったのだった。

 

Have a good day, and peace.

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