Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

生命をアクティベートする”からくり”

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小さくて大きなプレゼント

その忘年会は

およそ三年間

会っていてもいなくても

同じ想いを分かち合って過ごした

もはや”戦友”とも呼べる

仲間の集まりで

今回は久しぶりに

夫婦で参加することになっていた。

 

昨年末の

ある、忘年会。

 

お酒もそこそこ進み

場も和んできた頃

その奥さんたちが

私の方に向き直り

こう言った。

私に小さな包みを手渡しながら…

 

 

 あの

 

 あなたががいてくれてよかった

 

 ほんとうに ありがとう

 

 私達

 

 良規さんが

 

 大好きです

 

ほんとうに突然の

祝福に満ちたコトバに

私は

私は驚き

驚いたまま

なぜかわからないまま

ぽろぽろと涙がこぼれ

その小さな

プレゼントの包みを受け取り

不格好にハンカチを目に押し当てながら

隣りにいたお父さんと

何度も何度も握手をした。

 

何度も、何度も。

 

 

その会は

 

お子さんを津波でなくされた

親御さんの会

 

”つむぎの会”。

 

みんなから受け取った

小さい包みと

大きなプレゼントで

私は3年前の”あの時”とは違った

涙を流した。

 

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想像しようすることさえ

2011年11月。

人づてに声をかけられ

自助グループ”であるつむぎの会に

サポートメンバーとして参加することになった。

 

私も子供がいます。

子供を失うということが

親にとってどれほど怖ろしいことか。

津波の怖ろしさも体験している私は

 

本当に

本当に

 

親御さんの気持ちの

一億分の一でさえ

”想像しようとする”ことさえ

できない。

 

できないのです。

 

 

逃げ出したかったあの日

初めて会に参加する日

会場であるホテルに着く前から

心臓に毛が生えてると自他共に認める私が

早まる動悸が不安をさらに煽り

車の運転もしたくないほど胸苦しい

そんな状況に自分自身が戸惑っていた。

 

でもどこかで

 

津波に遭って助かった

自分だからこそ

何かできるのではないか

他の誰かにはできない

何か役割があるのではないか。

そんな想いが

逃げようとする気持ちと車のハンドルを

会場へと向けさせていた。

 

そんな”あの時”の苦しさを

今でも時々思い出す。

 

ただ、泣くしかなかった

数組の親御さん。

それぞれの状況を

ぽつりぽつりと話してくれる。

 

涙を流しながら

嗚咽しながら

時を止めながら

とぎれとぎれに

 

壮絶な内容と

ギリギリと

こころを引き裂く音

 

 

おそらく

”宗教者”として

”僧侶”として

”坊さん”として呼ばれたであろう私は

 

 

そこにいた三時間

 

 

うつむいて

 

膝下にくしゃくしゃのティッシュを山積みにし

 

 

泣いていた、だけだった。

 

 

時間が過ぎ

もう呼ばれることはないだろうと思いながら

会場を後にした。

 

心配で

迎えに来ていた嫁と

子供の待つ車に着いて

 私は

もう一度

声を上げて泣いた。

 

泣くしかなかった。

 

分かちあった、ただそれだけ

私の想像とは裏腹に

その後も二ヶ月に一回

二年目からは毎月

つむぎの会に呼ばれるようになった。

 

行っても何をするわけでもなく

 

時々の話題に加わったり

時には仏教やお寺にまつわる話を

聞かれなくはなかったけれど

それはもう私の来る理由の

優先順位としては低いようだった。

 

そうして

多くの時間を分かちあった。

 

それだけだった。

 

それだけだった、と思う。

 

奇跡は起こってゆく

悲しみは

無くなるわけがない。

”心のケア”と

軽々しくたった四文字で言えるような

そういうことではない。

 

でも

 

あの日から三年たって

あの時の親御さんたちが

一緒にお酒を飲み

時には笑ったり

時には泣いたり

こうして

忘年会をしてるという

小さな「奇跡」は

その場に起こっていた。

 

その奇跡は

 

そのごくわずかを分かちあった私でさえ

 

生きていることの

 

歓喜と

 

不思議さを

 

はっきりした手触りとともに

感じさせてくれた。

 

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行こうという選択肢しかなかった

あまりにも巨大な現実の前に

あまりにも深い悲しみの前に

自分は

圧倒的に

絶望的に

無力だった。

無力だと思った。

 

でも

呼ばれる限り、行こう。

無力な自分でも

呼ばれるとすればそれは

必要とされているということかもしれない。

 

無力さが恥ずかしい。

情けない。

 

そう思わないわけは無く

むしろますます強まっていったけれど

 

アンロック。

 

行こう。

 

そんな自分の”思いなんか”よりも

つむぎの会の仲間は

 

愛おしくて

 

しょうがなくて

 

結局、私には

行こうという選択肢しかなかったのだから。

 

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ほんとうの”からくり”

人は

助けるものではない。

 

人は

自分の力で

立ち上がってゆくものなのだ。

 

手を貸しても

貸さなくても

立ち上がる力が湧き上がれば

どんな状況からでも

立ち上がれるものなのだ。

 

生命のチカラをアクティベートして

何度でも立ち上がるものなのだ。

 

そのために

そのチカラが湧き起こる

アクティベートが起こる

媒体として

条件として

環境として

藁束として

蜘蛛の糸として

土として

水として

空気として

光ひとすじとして

そこにいること

存在すること

 

自分の無力さもそのままに

そこにいることを引き受けること

 

すると

悲しみで目を閉じたように見える生命が

 

いつか

いつの日か

 

再び自ら息を吹き返す

それが

ほんとうの”からくり”なのだ。

 

ほんとうは

資格などいらない。

知識もいらない。

誰にでもできる。

そのからくりを知れば

誰でもできる。

 

誰にでも。

 

つむぎの会のお母さんの一人が

こう言ってくれた。

 

 あの日

 あなたがただ泣いてくれたから

 また来て欲しかった

 

と。

 

ありがとう。

 

ありがとう。

 

ありがとう。

 

Have a good day, and peace.

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