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Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

「心のケア」はやめてくれ

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「心のケアは、やめてほしい」

 

いわゆる「心のケア」については

ひとつの講座にしてしまいたいほどの思いがあり

この場では書ききれませんが

(別の機会に詳しく書こうと思っているけれど)

前回のブログの補足も兼ねて

ちょっとだけ書きます。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

”心のケアは、やめてほしい”

 

被災地で活動するものとして

ホスピスでボランティアするものとして

はっとするこの、言葉。

 

意外なようだけれど

被災地の

私の友人知人の間では

よく耳にする。

 

世間では

「心のケア」や「グリーフケア(悲しみのケア)」が

いかに大事かということがいろいろな媒体で語られ

それに関する活動や著書もたくさんあるように思う。

 

世間には

臨床心理士や心理学者をはじめ

医療関係者や児童関係者、カウンセラーや傾聴活動

「心のケア」関係者がおり

そして宗教者にも

「心のケア」の担い手としての必要性が叫ばれている。

 

なのに

 

  心のケアは、やめてほしい。

 

私が耳にするこの言葉は

ただのコトバではなくて

当事者の”痛み”を伴った

「訴え」にも似たものだ。

 

経験値の浅い大学生という”しろうと”

2011年のあるとき

お世話になっているNGO

大学生のグループをボランティアとして受け入れて

仮設住宅を訪問し、いわば「傾聴」や「慰問」の活動をする

その手伝いをした。

NGOスタッフからすると

特別なトレーニングをしたわけでもない

普通の大学生」を

被災地の

それも被害の大きかった地区に連れていくことは

経験の面でも、いわゆる”気遣い”の面でも

不安が大きかったらしい。

私から見ても

このあらゆる意味で経験値の浅い

いわば”しろうと”とも呼びたくなるような

よく言えば「思いに突き動かされて」きた”だけ”の大学生たちは

なにか非常に危ういように思え

はたして被災者の皆さんの役に立つのだろうか…と

心配しながらの活動だった。

 

慰問としての

楽器の演奏などが終わり

いっしょにお茶を飲む時間となった。

予想どおり、お茶の時間は

相当ぎこちなく始まった。

学生はもちろん、実際に被害にあった人たちと

ひざを交えて話すのは初めてだろうし

それに近い経験でさえなかったはず。

仮設住宅の皆さんも

そんな学生と何を話せばいいのか戸惑っているようだった。

 

ところが…

 

心のケアが「生まれる」

私用の電話の対応のため

私は少しその場を離れた。

20〜30分のち、皆のいる

仮設住宅の集会所に戻ってみると

 

さっきのぎこちなさがウソのように

何やら盛り上がっている

集会所の外まで

学生と住人の皆さん両方の笑い声が

響いている!

 

驚いて集会所に入り

みんなの輪に入ってまた驚いた。

 

シモネタ」のオンパレード!

 

なんと学生と仮設住宅の皆さんは

 

「シモネタ」で盛り上がっていたのだった!

 

所定の時間が過ぎ

私たちと学生が帰る頃になると

仮設住宅の皆さんは涙ながらに別れを惜しみ

学生たちも涙ながらに

再訪を約束しながら手を振った。

 

通じ合うことで

皆の「いのちのチカラ」が目を覚ました。

 

「心のケア」がそこに生まれたのだ。

 

 アンロック!

 

 

そうとは気づかないトラップ

あなたに「心のケア」を「します」

 

そう言われたらきっと誰もが

キュッと心が縮み

身体がこわばり

むしろ「ロック」してしまう。

そのロックが起きてしまうと

「心のケア」以前に その人そのものを

受け付けることができずに

むしろその相手に「気遣いをさせ」

結果的に「むしろ傷つけてしまう

ことにつながってしまう。

 

それは、いわゆる「らしさ」を

知らずに身にまとう人

えてして宗教者を含むあらゆる専門職に多く

「心のケア」を「します」という人が

本人は「そうと気付かずに」

陥りやすいトラップなのだ。

 

だから

 

「らしさ」などどうでもいいのだ。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

心のケアを「しない」ケア

「心のケア」の必要性と重要性は

疑う余地が無い。

もちろん大切なことだ。

 

しかし

 

「心のケア」を「します」

 

という”態度”は

むしろ、相手の心を閉ざしてしまう。

 

”ロック”してしまうのだ。

 

その結果 「心のケアは、やめてほしい」となる。

 

むしろ 「心のケアはしない

(実はしないほうが難しい。)

 

でも  「そこにいる」 こと。

 

通じ合うということ。

(通じ合うとなぜ人は元気になるかも、後で書きます)

 

戸惑いも不格好もそのままに

そこにいるということ。

 

それが「いのちのチカラ」を”アンロック”し

 

”心のケアと呼ばれる”「ハピネス」が

そこに「生まれる」のだ。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

その奇跡に立ち会おう

 

あの大学生たち!

 

「心のケア」を「しよう」なんて

夢にも思っていなかった!

 

未熟で経験も浅いからこそ

誠実で素朴そのままで

そこにいただけ。

 

明らかになまじ「専門職」が来るよりも

仮設住宅のの皆さんの表情には

”生きている喜び”のような

満ち足りた様子が感じられた。

 

だから

 

「心のケア」を「する」なんてのはやめよう。

 

心のケアと呼ばれる「ハピネス」が生まれる。

 

そんな場作りをしよう。

 

いのちのチカラがアンロック

ハピネス」が生まれる。

 

そのお膳立てをし、その奇跡に立ち会う。

 

なんて素晴らしいことだろう。

 

Have a good day, and peace.

 

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