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Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

"さとり"という言葉の「ちょっと手前」

成道会。

お釈迦様が悟られた、その日。

その日にちなんでというわけではなけれど

私の  ”さとり”  の「ちょっと手前」のお話。 

 

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13年前の1月7日、雪のふる朝。

父が、心筋梗塞

ほんとうにぱったり、と逝ってしまった。

 

他界した父を乗せて霊柩車で火葬場に向かう間

ひとつの思いにずっと包まれていた。

 

”世の中は何ていつも通りなんだろう”

 

信号は相変わらず赤から青へとかわり

車はアクセルを踏めば進みブレーキで止まる。

ちらつく小雪も空から地面へと降り

道行く人はコンビニで弁当を買う。

 

人がひとりこの世から去り

悲しみにくれる家族があったとしても

世界はほとんど変わらぬ営みを続けている。

私にとっては世界が一変してしまったのに。

 

世界は、ほとんど変わってはいない。

 

今ならそれが真実なのだとわかる。

世界を見ているのが自分である限り

自分次第で世界は違って見える。

しかしある意味

世界は全く変わってないのだ。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

 

火葬を終え、父は白い陶器の中に収まった。

父を膝にかかえた私をのせ

自宅である寺へと霊柩車はむかった。

市街地から寺へと続く一本道。

暗く重苦しい冬空から

昨夜からの雪が、降り続けている。

 

いったい、父はこの道を

何度通ったのだろう。

 

人生とは

家へ帰る道を、通った回数なのだろうか。

 

”変わらない世界”と”自分”の間に

なにか大きな断絶があるように感じ

私はずっと戸惑いつつ

やりきれない哀しさに

取り込まれていた。

 

寺に近づくにつれ、いつの間にか雪も止み

空も心なしか明るくなってきた。

最後の曲がり角を過ぎ、寺の山門が見えてくると

 

不思議な事に

 

重苦しい雲が僅かに裂けて青空が見え

まるで寺だけを照らしているように

陽光が射した。

 

その光景に驚き、戸惑いながら

父を胸に抱えた私は山門で車を降りた。

 

参道の杉の木立を見上げると

不意に強い風が吹き

陽光にまばらに照らされた参道の大杉が

ざわざわと揺れた。

 

 

satoryoki.hatenablog.com

 

あ、

 

なるほど…

 

 

父は

この白い陶器の中にいるだけではなく

 

陽光であり

杉の木立であり

山野をめぐる風である。

 

長く暮らしたこの町であり

この寺でもあるのだ。

 

なぜだかはわからない。

説明もない。

 

しかし確かに「そうだった」。

「感じた」よりも

「思った」よりも

”ちょっと手前”の感じ。

 

 

すると今までの

”何もかわらない世界”と”自分”との断絶が

その隙間にいて困惑していた私が

やりきれない哀しさが

ほどけてしまっていた。


  人は、”おおきないのち”の一部であり

  この世界の”はたらき”そのものである

  自分と、世界とは

  同時に”名も無きひとつの生命体”

  

なんだ…

 

satoryoki.hatenablog.com

 

説明できないが

説明するとすれば

言葉にすれば  ”そういうふうなこと” 。

 

感触、のようなもの

実感、のようなもの

経験、のようなもの

確信、のようなもの

信頼、のようなもの

 

それらひっくるめて

「生きていることの安心さ」

と言ってもいい。

 

どうか私の言葉を信じないで欲しい。

とりあえず、だと思って欲しい。

しょせん  ”言葉”  でしかないから。

 

経験は

あらゆる言葉の「ちょっと手前」なのだ。

 

”さとり”もほんとうは

”さとり”という言葉の「ちょっと手前」。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

 

父を失ったと思うと、悲しい。

 

と同時に

失ってはいなかったことがわかった。

最初から

”名も無きひとつの生命体” だった。

 

 

体験は

時間が経つにつれ風化していく。

だからいつもこの実感をキープして

暮らせる訳ではないけれど

あの時の「安心」は

たしかに私の中に残っていて

私の一部として確かにあって

 

生きてるってすごいこと

だからとにかく大丈夫なんだって

そういうことなのだ。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

ほんとのところ 

「自分」としての生命が「死ぬ」時が来ても

「名も無きひとつの生命体」全体としては

死なないのだろうけど

そこはまだはっきりと言えない。

やっぱり「自分」としての「死」はこわい。

自分の大切な人の「死」も

やはり起こってほしくはない。

 

だけど

だからせめて

死ぬまでは生きよう。

せっかくのいのち。

せっかくのいのちだ。

 

生きてるってすごいこと。

ほんとうに、すごいこと。

 

Unlock yourself.

Unlock your LIFE.

 

 

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