Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

「人は“他者”のために生きようとする」という事実の発見

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”死にたくない”唯一の動機

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

「うちは仏事があったから“おめでとう”は言えないんです“」という方もいるでしょう。 でも“あなた”と“わたし”が生きている今日はとてもとても“おめでとう”に値する。 おめでとうございます。ほんとうに。お互いに。

新年早々、壮大なテーマです。なぜなら、昨年度これだけは書いておこうと思いつつ書きそびれてしまったものだから。津波に遭って「4トントラックの上で」“わかったこと”がもう一つある。それはあとから気がついたことだけれど、「死にたくない」その一念だったあの時、まさにその「死にたくない」を強烈に立ち上げていた“唯一の動機”があった

その、お話です。

 

satoryoki.hatenablog.com

無尽蔵に立ち上がる「生きようとする力」 

アメリカのヴァーモント州の小さなお寺に招かれ

その津波の体験を話した。

そのときある女性が、こんなことを聞いてきた。

 

(死を意識した)そのトラックの上で、“誰のことを”想いましたか?」

 

 

“誰のこと”?

 

誰って

 

 

そうだ。

 

 

そうだった。

 

 

自分の「生」が危うくなったその時

 

「死にたくない、絶対に生き延びてやる」と必死だった。

 

その時、確かに「誰か」を思っていた

 

その必死さ、自分を“生きよう”と立ち上げていたもの

 

「子ども」への思いだったと

 

思いだしたのだ。

 

“今自分が死んだら子どもたちがどうなる?”

それだけは困る。それだけは何としても避けたい。

その思いが非常にはっきりと

自分の「生きようとする」力を

無尽蔵に立ち上げていたのだ。

 

これは、すごい発見ではないか。

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自分のための”その前の動機”

「死」がわたしに手を触れつつある時

  

  「死にたくない」

  「死ぬのが恐ろしい」

 

その理由は

 

「自分のために」ではなく

 

「子ども」という「他者」にのためにだったのだ。

 

もちろん、無事にうちに帰ってから

しばらく精神的に不安定だった間に(あるいは今でも)

「自分のために」死にたくないという思いが

じわじわと重さを増してきた。

それは嘘ではない。

 

本当に納得の行く生き方をしたい。

ほんとうの「人生」を生きたい。

その確信や決意とも言える思いが自分の中に生まれた。

「自分のためにほんとうに生きたい」

 

しかし “その前に”

 

トラックの上の自分は確かに

「子ども」という「他者」のために

生き延びようとしていたのだ。

自分のためではなく

「他者」のために生き延びようと。

 

ここまでくると「自分」と「他者」をしっかり噛み砕く必要があるが、

あえてここでは触れないでおく。また、その他者が「子ども」であった特殊性は

また別の機会に譲ろうと思う。大きいテーマだから。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

DNAか、種の保存システムなのか

 今ではそのカラクリの全体が見えつつあるけれど

その時の私は

その大きな発見にとても驚き戸惑っていた。

 

自分の“生命”は、他者のために生きようとするのか?

そうなのか?

 

そのごまかしようのない実感が

アメリカの片田舎でありありと

目の前に蘇ってきた。

人は、他者のために生きようとする。

 

 

  理屈ではない。

  思考ではない。

  常識ではない。

  道徳ではない。

 

それはDNAのプログラムと呼ばれるのか

本能と呼ばれるのか

種の保存と呼ばれるのか

 

 

私たちの「生命を動かす原始的な衝動」。

否定しようのない確かな質量と手触り。

 

 

人は、他者のために生きようとする。

 

それが”自分の生きる原初的な理由”だとすれば

それを“承知の上で生きることが出来るとすれば

 

 

生きるということに何の矛盾もなく

ハピネスを創造することを怖れず

自由に生きていいのだと

自分を野に放ってやることが

アンロックすることができるのだ。

 

私たちはもう“知ってはいる”のだ。

どこかしこで“断片的に経験”しているのだ。

わかってるのだ。

わかっているけれど

 

なんだか拍子抜けするほどまっとうで

あまりの“素晴らしさ”に

認めることに怖気づいているのだ。

 

 

「人は他者のために生きようとする」

 

ほんとうの自由。

ほんとうのアンロック。

 

 

それは 「認めてしまう」ことなのだ

 

 

「人は他者のために生きようとする」

 

そのことを

 

この身で確かめてみよう。

 

さあ、どうだ。

 

Unlock yourself.

Unlock your life.

 

佐藤良規

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