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Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

単純に、誰かの為に生きることが「何より愉しい」ことなんだ

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人生はいつも途中経過

他人のために生き延びようとした。この”経験としての事実”は、不可思議な宿題としていつでも心のどこかに引っかかっている。残念ながらそれをそのまま「信じてしまいきる」ことも難しいのだけれど、思い当たるフシはたくさんある。本当に「他人のために生きる」ことが自分の「ハピネス」なのだと証明できれば、その後のチョイスが随分楽になるはずだから。証明とは言っても、それは自分が”あゝそうなんだ”と納得するということだけれど。

 

ともかく、人生は毎日が実験で途中経過なのだ。

 

satoryoki.hatenablog.com

 生命エネルギーの湧出

ホスピスのボランティアを足掛け8年続けている。その応用編として被災地での「お茶っこサロン」(傾聴ボランティア)もしばらく続けていた。

ボランティアをしてますというと、ほとんどの人は「えらいね〜」「たいしたものだ」と、無条件でほめてくださる。その時の表情も割りと特徴的で、ちょっと眉をひそめて”やや同情的に”ほめてくれる。いやいや、そんなことないですと社交辞令として謙遜しながら、心のなかではいつも、(やめられない「愉しさ」があるからつづけてるんですよ〜!あなたもやったほうがいいですよ!)と言いそうになる自分がいる。同情されるなんて(そうだとすれば)全く”お門違い”だし、ふつうの生活では消費しきれないほどの生きる力の源、「生命エネルギー」が湧いてくるのだ。

  

satoryoki.hatenablog.com

その「歓喜」は何度あるだろう 

そのホスピスのボランティアを始めた当初、象徴的な出来事があった。

記念すべき第一回目の「ティータイム」。ボランティアと病院スタッフが患者さんとご家族のために”午後のお茶の時間”をラウンジで提供するというもの。豆をミルで挽きたてのコーヒー、美味しい紅茶、季節が春だったので一口サイズの”おだんご”を用意して、それでも恐る恐るティータイムを始めた。看護師さんたちもぎこちなく、壁際に突っ立って”午後のお茶の時間”を楽しめないまま見守っていた。

ホスピス病棟の患者さんにコーヒーはよかったのか…少しでも息抜きができたのだろうか…と不安や反省めいたことばかりが頭をよぎる。それでも患者さんとご家族はそれなりに楽しんでいたようには見えた。

小一時間のお茶の時間が終って、妙な”気疲れ”を感じながら片付けをしていると、お茶の時間に参加してくれていたご家族が私たちのもとに遠慮がちに近づいてきた。

 

その女性は、目に涙をためていた。

 

  きょう、うちのだんな(患者)

  いつもは何も食べたくないっていって

  いつもわたし心配してるのに

  紅茶飲みたいなぁって言って

  紅茶をちょっと飲んだんです

  あぁ、おなかあったかいなぁ

  そう言って笑ったんです

  だんごもなめたいなぁって言って

  だんごの”たれ”だけなめて…

 

  あんな笑い顔

  ほんとに久しぶりに見ました

 

  あの

 

  このお茶の時間

  ほんとにありがとうございました

 

  あの笑い顔見れて

  ほんとによかった…

 

私たちボランティアも、看護師さんたちも

おもわずつられて涙ぐんで

うんうん、よかったよかったと

手を取り合って喜んだ。

 

こんな「歓喜」の瞬間が

こんな「ハピネス」の創造が

 

いったい、人生に何度あるのだろう。

 

satoryoki.hatenablog.com

 どうか、信じないで

実は

ボランティアをしていると

こんな経験が文字通り

「数えきれないほど」あるんです!

 

どうです。

 

こんな「歓喜」の瞬間が

こんな「ハピネス」の創造が

 

 何度も何度も毎日毎日あるなんて

想像できるでしょうか。

 

だからうちのボランティアの仲間に聞いてみても

「むしろ私たちのほうが”元気をもらってる”」

といいます。

被災地へボランティアに行った方の多くも

「むしろ救われたのは私たちだった」

そう言うでしょう。

 

 人は他人のために生きようとするという”私の個人経験的事実”は、どうやらある程度の普遍性がある。この時「他人のための行動」→「他人が喜ぶ」→「自分が喜ぶ」こういう”サイクル”でハピネスは創造されている…のではなくて、経験的に言ってその全ては”同時に起こっている”のだ。

この”サイクル”が起動する時「他人のための行動」というのは全体のきっかけに過ぎず、「他人の喜び」の行為が引き起こす”当然の結果”が「自分の喜び」なのだ。

 

誰かの為に生きることが「何より愉しい」ことなんだ。

 

だから、私たちが何度となく体験している「歓喜」や「ハピネス」が起こることは疑いなく、私たちは”確信的に好きで”ボランティアをしているのだ。

 

どうか、私の言葉を”信じないで”ほしい。

 

でももしその「歓喜」や「ハピネス」に思い当たるフシや、身に覚えがあれば、もしかしたらそれはもう一度確かめてみる価値はある。

 

単純なこと。

 

誰かの為に生きることが、「何より愉しい」ことなんだ。

 

どうか、信じないで。

 

でも、確かめてみる価値はある。

 

Unlock yourself.  Unlock your life.

 

佐藤良規

Mail:bakachin2000@gmail.com

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