「ハット」をかぶれば何かが変わる
「大正デモクラシー」
一昨年ぐらいから、「ハット」ってやつをかぶっている。
私は特に「オシャレ」なわけではないけれど、若い子が「ハット」をかぶってるのを見て「かっこいいなあ」と思ったからかぶることにした。それだけ.
自分で言うのも何だけど、私は「ハット」が似合わなくはないと思う。が、「似合う」というほどではもちろんない。ハットだって安物だし、その下に合わせているようでいない服だって、安物ばかり。
だけど、「なんか気分がいい」んだよね。ハットって。単純に、「カッコイイっぽくなってる」感じなだけで、愉しいのね。かっこよくはなりたいのよね、いちおう。で、世間の”私&ハット”への評価はって言うと、
「大正デモクラシーご苦労さまです。」
「良規は死すとも自由は死せず。」
はいはい。
ありがとう(笑)
でもいいのよ、自分が「気分がいい」んだから。
これはムリよ、そりゃそうよ。↓
圧倒的な拒否感
ところが、この「ハット」ってやつは非常に敷居が高いらしい。私のかぶってるハットを「試しにかぶってみて」と渡しても推定50%のひとは「いやいやいいです!」ときっぱりと拒否する。試しにかぶってみるものもダメ??
「いや〜、オレってかぶりもの似合わないんだよね〜」という人も、かぶってみればそれほどでもない。まあ、似合ってもいないけど似合わなくもない。つまり世間的には”どうでもいいレベル”。似合わないっていう自己評価はどこから?
私のほとんどの事柄についての実際の世間的評価なんて
”どうでもいいレベル”なのよね。
自分が思うほど、世間は関心すらない。
ほら、この感じならオッケーでしょ? ↓
でっちあげ世間的評価
どうあやら「ハット」って、ばかにできない「強固な”ロック”」なのだ。ほとんどの人が”世間的にはどうでもいいレベル”なのに、頑なに「ハット」を拒否している。この際、カッコイイかどうかは別にしてこの事実があぶり出すのが「世間(他人)の評価を”自分ででっち上げている”」こと。繰り返すけれど。他人からしたら”どうでもいいレベル”が実際の評価なのに、自分の中の妄想的世間評価は「いやマジで似合わないから」ぐらいに固着しているのだ。
それは世間の評価とすり替えた”自己評価”なのだ。
自己評価をどこかで世間的評価にすり替え、自分が苦しむパターン。
わかっちゃえばアンロック、できそうじゃない。
いいよ別にこのままで、というならまあしかたがないけれど
何か「生きにくさ」を抱えているのであれば
何か「今までどおりじゃうまくいってない」のであれば
何か「アンロック」を求めているのであれば
くだらないようだけど、バカにできない
「ハット」をおすすめします。
ハットをかぶれば何かが変わる。
気分よく、暮らしましょ。
Unlock yourself. Unlock your life.
追記
田舎においてこの「ハット」に類する「でっち上げ自己評価」を
あぶり出してくれるものとして「外車」もあります。
他にもいろいろあるから探してみて下さい。
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佐藤良規
Sato Ryoki
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ハット違い。