”出会い系仏教”をめざせ
心が震え、自分を突き動かす
人に出会う、ということがほんとうに大事だと思っている。世の中には「色々なコツ」や、「方法」「メソッド」が溢れている。子育てやお金持ちになる方法なんていうのもそうだろう。でもそれは自分が”本当にやりたい”と思えなければいくらアタマでわかっていても意味が無い。ダイエットしなくちゃ健康を害すとアタマでわかっていても、おやつを食べてしまっては意味が無いのだ。自戒を込めて…。それを一番思い知らせてくれたのが「津波に遭ったこと」だったけれど、これはこれで再現性がなさすぎてお勧めできない。「いのちの儚さを思う」ことだって、所詮「アタマで考える」以上のことは正直難しい。「いのちって儚いなぁ…」と”心が震えるほんとうのなにか”しか、何かを「本当にやりたい」と自分を突き動かすものはない。
それが「人に出会う」ことだ。人に出会うことは自分の”心を震わす”ことだ。もしくは「何か”ほんとうのこと”に出会うこと」でしか、自分を突き動かすことはできない。
”出会い系”葬式仏教
ひとことで「葬式」と言ってしまうけれど、例えば葬式で親を送ることなんて普通は人生に2度しかない大事件なのだ。家族の死が、その後の自分の人生に大きな影響を与えるってことは、ちょっと考えて見ればわかる。葬式をしよう!というのではない。そうではなく、”大切な人の死”は人生において大きな意味を持つ、なにかほんとうのことだって事は知っておく必要がある。それをその後の人生の”生命力”にしていくためのひとつの練り上げられたカタチが”葬式”であるってことだ。
そのことがわかると、葬式が違って見える。
じつは、葬式は「出会いの場」であるってことだ。
自称、”出会い系”葬式仏教っていうのはどうだろう?
自分を突き動かす”ほんとうのこと”
葬式だからこそ出会える、もの(こと)がたくさんある。
あまり”付き合いのなかった親戚”に出会う
親戚との思い出話で知らなかった”故人の人生”に出会う
故人の人生を想うことで”自分の生きざま”に出会う
故人と、そして”私を想ってくれる誰か”に出会う
自分の”生きる意味を問う”ことに出会う
こんな自分を突き動かすであろう
”ほんとうのこと”にたくさん出会う。
そんなことってほかにあるだろうか。
悲しみが、未来に出会う
それをちゃんとわかっていて”場”を作ることができれば
どんなに意味があるだろう。
たくさんの人に出会う葬式
感動に出会う葬式
生きる力に出会う葬式
人生の次の一歩に出会う葬式
葬式は別れの場、だけではもったいない。
悲しみが、未来に出会う場。
”出会い系”葬式仏教。
どうだろう。
Unlock yourself. Unlock your life.
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佐藤良規
Sato Ryoki
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