臨床宗教師が、必要だ。
被災地でのお坊さんの評価は…
先日、お子さんを津波でなくした父母の会に参加した時のこと。私も縁あってこの会に関わるようになり、はや5年目になります。しかしまだまだこの会に参加する日は緊張するし、終わったあとも反省しきりです。
この会を開催したこの5年間に、ずいぶん”お坊さんの話題が出た”なぁと、スタッフで振り返りました。もはや”お坊さんとして呼ばれている”わけではありませんが、やはりお坊さんの話題は気になります。
お坊さんは出来るはず
この会の運営をしてくれているMさんのコトバが妙に耳に残りました。ある方のアドバイスで、この会に「お坊さん(宗教者)」を呼んだほうがいいということになった時に、Mさんはなんとなく納得したそうです。
なぜなら
「お坊さんは”心のケア”が出来る人たち」だと思っていたから
だそうなのです。
彼は、お坊さんという人たちは”当然、心に痛みを負った人たちのケアをする知識やスキルがある人たち”だと思っていたそうなんです。ですが、実際にこの会を開催して当事者である父母に聞く”お坊さんの話題”は…。
心のケアどころか家族の気持ちを「むしろ追い詰める」ようなことばかり。私も、ほんとうに耳を疑うような”お坊さんと遺族のやり取り”をたくさん聞きました。
それが全てその通りの事実であるとは思いませんが、少なくとも「そう受け取った側」にとっては事実なのです。
そのお坊さんたちを責めるつもりはありません。ですが以前の投稿にも書いたように、多くの人が「お坊さん(宗教者)」を求めていて、しかも「本物」を求めているのです。
臨床宗教師は必要か?
臨床宗教師は必要です。なぜなら、お坊さんはお坊さんであるというだけで傷ついた人たちを簡単に「追い詰める」こともできるからです。
臨床宗教師は必要です。なぜなら誰もが個々に何かしら生きにくさを抱えていて、それは「処世術のようなもの」ではどうにもならないからです。
臨床宗教師は必要です。なぜなら、出会う人と出会う場面が全て臨床だからです。
尊敬する友人がFBに転載した文章を借ります。
東北大学 谷山洋三 准教授
『臨床宗教師の理念と倫理』
「そもそも臨床宗教師は必要ない。本来すべき事で、わざわざ必要ない。臨床宗教師など必要なくなって、全ての僧侶がケアできるようになる事が私の夢」
スタートラインに立つ
あの震災がきっかけとなって、臨床宗教師が生まれました。
「臨床宗教師」の動きが生まれたことで、多くのお坊さんが世間のラブコールに気づいたのではないでしょうか。そして、止むに止まれぬ思いで勇気を持ってスタートラインに立ったお坊さんたちが少なからずいるでしょう。その点において、僕はとても嬉しく、励まされる思いです。
そんな若いお坊さんたちと、会って話してみたいなぁ。
Unlock yourself.
Unlock your life.