”いのち”は巡り行きたがっている
釜石高校のセンバツ
たくさんのメディアで語られていることだろうけれど、釜石高校のセンバツ出場には胸がアツくなった。岩手の、沿岸の高校というだけでも嬉しいのに、僕と釜石高校には別の”いのちのつながり”が、ある。
母さんがまだ行方不明のピッチャー、岩間くん。
そのお母さんこそ、僕をあの日釜石に呼んだ主催者の方だった。
あの日の笑顔
僕の講話を盛岡で聞いた岩間さんが、釜石市で行われる研修会の講師として呼んでくれた。
僕が会場に着くと、笑顔で迎えてくれた岩間さん。
「前に聞いたのと同じ話ですよ。」と僕がおどけると、「それをみんなに聞いてほしんです!」と明るく返してくれたことを、僕はなぜか鮮明に覚えている。
その、岩間さんの息子の大くんが甲子園のマウンドを踏む。
僕は普段全くテレビは見ないけれど、滋賀学園と対戦した彼の姿を友人宅で見た。
癒えてゆくいのち
甲子園のマウンドで、堂々としたピッチングを見せる彼。
彼の姿には「津波」も「震災」はなかった。ただただ眩しいばかりに光を放つ「若さ」と「巡りゆこうとする”いのち”」の躍動、を感じた。僕の目はきっと涙で滲んでいただろうから、視覚で見たわけではなく、僕の中の津波を引きずっている”いのちの疼き”が、爽快に癒えてゆくような感覚だった。
”いのち”は巡り行きたがっている
僕達はなんとか過去に立ち止まろうとしているのかもしれない。震災、津波、先に旅立ってしまった人たち。過去は懐かしく、温かい。しかしどんなに立ち止まろうとしても、僕らの”いのち”は巡り行きたがっている。その力強い揚力を僕たちは留めておくことが出来ない。その”いのち”は、時に僕達には眩しすぎる。だから僕達は、まだ見ぬ世界に僕らを連れてゆこうとする”巡り行きたがっているいのち”を恐れる。恐れながら、その眩しさのその行き先に全てを任せてゆくしかないんだ。
僕らの”いのち”は巡り行きたがっている。
僕のいのちも、あなたのも。
Unlock yourself.
Unlock your life.