Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

名前を変えすぎた結果…。

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マインドフルネス・ラプソディ

マインドフルネスが流行っている。

 

震源地の北米はもちろん、というか

そりゃまあそうだろうと思うけれど

 

地図にもだだっ広い空白として記載される

私の住むこの岩手県の片田舎でも

 

「マインドフルネスを保健師に勧められた」

 

と、若いママさんから聞いた…。

 

岩手の片田舎の保健師さんまでが

マインドフルネスをさらりと

あたかも「業務」として推奨する。

 

これを「流行っている」と言わずして

何と言おう(-_-;)

 

アンロック・ワーク?

マインドフルネス・ワークと

似て非なる、それでいて果てしなく近い

「アンロック・ワーク」(仮)を、手探りで

私はいろいろと探している。

 

自分の「ロック」に気が付き

それに「何らかのちょっかいを出して」

結果的に「アンロック」を

体験しようというもの。

 

先日の「名前変え・ワーク」も

アンロック・ワークの1つ、かな。

 

ロベルト本郷(古)

名前変えワークは、結構面白い。

だけど

その名前ごとに違う感覚を

「私(わたし)的なもの」と呼ぼうかな。

その「私(わたし)的なもの」を

それなりに楽しんでいると

だんだんにそれは

実はどれも「自分ではない」と感じてくる。

 

「私」とは「リョーキ」であり

「ホセ」であり「ロベルト」であり

「オ’ブライエン」であり…

 

コスチュームを脱がせると

「名前を変える」ことで

「変わる」ように感じる

「私(わたし)的なもの」というのは

あくまでも着せ替えの「コスチューム」に

過ぎないんだ。

 

名前が何であろうと

「私(わたし)的なもの」がなんであろうと

それを着ている「本体」があるのだ。

 

その「本体」の手触りが感じられると

逆に「名前」を変える必要もなければ

「私(わたし)的なもの」はなんでもよくて

 

つまりは、私の思う「自分」は

なんでもいい上に、何である必要もない。

 

「本体」、それがあるからいいのか。

 

 (過去記事↓)

satoryoki.hatenablog.com

 

 

 自分  is Freedom

あー、だから自由だ!

 

何になってもよくって

つまりは何でもない。

 

穏やかでもいいしきかん坊でもいい。

マジメでもいいし

「おだづばが(*脚注)」でもいい。

 

そしてそのどれだとしても

結局自分の「本体価格」は変わらないんだ。

 

名前を”変えすぎて”みよう。

 

手元に何が残るだろう。

 

そこを知る手がかりとして

「名前変え・アンロックワーク」

どうぞご利用下さい。

 

Unlock yourself.

Unlock your life.

 

*おだづばが…

 ちょっと度が過ぎた悪ふざけをする人。

「だから言ったのに」的な結果に終わりがちで

 それでいてその場の閉塞感を

 読もうともせず打破する人。

 おだづまっこ、とも。 

 

 

 


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