地図を捨てよ、旅に出よう
あこがれた、旅
バックパッカーだった1990年代、いろんな旅のスタイルに憧れたものだった。5年6年と長い旅を続ける人や、コンビニ袋ひとつで旅する極端なミニマム旅人。中でも私が惹かれたのは「ガイドブックを持たない旅」だった。
スマホとネットがこれだけ普及してしまった昨今では想像しにくいことだけれど、未知の国に旅するにあたってやはりガイドブックは持っていく方が私にとっては安心だった。だからこそ、「ガイドブックを持たない旅人」もっと言えば「地図を持たない旅人」に、憧れていたのだ。
次の旅を妄想するのにも、ガイドブックはとても重宝した。あの国に行ってこんな街に行き、こんな遺跡や店を尋ねる。宿はホテルにしようかゲストハウスにしようか。その妄想が旅のまた別の楽しみだった。机の上に広げた地図を読むだけでも、その街の様子や生活音、人々のざわめきが聞こえるような気がした。
しかしいざ彼の地に行ってみると、ガイドブックをあてにして歩くのが妙に恥ずかしく感じてしまう。ガイドブックを持ってる人より持たない人のほうが「偉い」と思ってしまうものなのだ。だから私はガイドブックの市街地地図だけ引き裂いてポケットに入れて持ち歩き、いかにも「ガイドブック?トーゼン持ってませんよ ┐(´д`)┌ヤレヤレ」的な雰囲気を醸し出すのに余念がなかった(笑)
(参考:過去記事)
”読みたい”が”読める”を圧倒する
今、縁あって仏教に関わる”なりわい”を務めているけれど、正直言って「仏典」や「お経」に私はそんなに詳しくない。「〜って言葉は…って文献に書かれている」的な話がとても苦手だ。勉強や書物を読むのも好きだけれど、やっぱりどうも遊んだり人と会って話たりするほうが好きなのだ。
それに、読みたい本はいっぱいあるけれど、ともかく読みきれない。読みたい本の量が、読める本の量を圧倒的に凌駕してる。もう、そこは諦めつつあるんだけれど、きっと死ぬまで読みたい本があり、学びたいことがあり続けるというのはなんて幸せなことだろうと思う。薪小屋に焚ききれないほどの薪が積んであるように。
(参考:過去記事)
地図を持たない旅人
結局私は、ガイドブックを持たないで旅をするのが好きで、なんなら地図も持たずに旅をするのに憧れている。きっと、私はそんなふうに生きたいのだろうと思う。ガイドブックを読んで旅に思いを馳せるのもいい。でも、旅をする時間は、刻々と過ぎ去っていってしまう。だとすれば、ガイドブックや地図を眺める時間より、旅をしたい。地図を眺めて旅を思うのではなく、旅そのものを愉しみたい。
(参考:過去記事)
あなたが旅をするように、あなたは生きる
誰が言ったか知らないが、「旅は人生に似ている」なんてことを言う。いろんな旅の愉しみ方があっていい。でも私は、地図を持たず、行く先も決めず旅することが、一番好きだ。そんな旅こそが、最も面白く、最も感動し、最も”人と出会い”そして”自分と出会う”旅なのだ。
私は、私が好む旅のように、人生も生きていくのだろう。
地名の由来や特産品、気候や人気スポット。
そういうのは他の誰かに聞いて下さい。
私は旅をしよう。
旅を愉しもう。
地図を捨てよ、旅に出よう。
Unlock yourself.
Unlock your journey of life.