父が、大好きだった。-Vol.1-
まさかこんなに早く
私たちは葬儀などいわゆる仏事を通じて、多くの喪主・遺族に出会います。亡くなった方がたとえ85歳であろうと92歳であろうと殆どの場合、ご家族はこう言います。
「まさかこんなに早く逝ってしまうとは思わなかったんです…。」と。誰にとっても親や祖父母はずっと生き続けてほしいもの。まさかこんなに早く…と思うのも無理はないのです。
ですが…。
私はいつも心のなかでつい、こんな返歌を詠んでしまいます。
「そんなに早くないじゃん、平均寿命も過ぎてるじゃないですか…。」と。
そんなに父親が長生きしてくれるなんて、私には、羨ましい。
長男の宿命
私の父は1月7日の朝、庭先で急に倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。55歳でした。幸いにもお墓参りに来た方が発見し通報してくれたので、父は倒れて間もなく救急車で病院へ運ばれました。しかし、私が病院に着いたときには救急救命士の方が滝のような汗を流しながら心臓マッサージをしてるところでした。聞けば、もう心臓マッサージをはじめて1時間近く経つとのこと。私は突然の出来事に心底驚きつつも、妙に冷めた頭で、きっとこれは助からないんだろうという確信めいたものを感じました。
無機的な病室の、”ベッド”とも呼べないような鈍色の台座。少しずつ私達から遠ざかり、透き通っていくような父の身体にしがみつき、母と妹は「頑張って」と泣きじゃくっていました。
私は隣で居心地悪そうに立ち尽くしている医師に、正直どうなんでしょうと尋ねると、もうむずかしいでしょう…と、やりきれなさを押し殺しでも十分私を気遣いながら、小さく呟いてくれました。私はその優しさに少しの勇気をもらい、世界中の”長男の宿命”を一身に背負ったような心持ちで、「もう、結構です。」と医師に伝えました。そしてそれは、続けていれば蘇生の可能性を僅かに繋いでくれている心臓マッサージをやめることを意味しました。
それは正月も明け切らない、七草粥の日の朝でした。
七草粥と変わらぬ世界
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- 唐の楚国に、大しうという親孝行者がいた。
- 両親はもう百歳を越し体がままならず、そんな両親を嘆き悲しんだ大しうは、
- 山に入って21日間もの苦行を行い祈願した。
- 「私に老いを移してもいいのでどうか両親を若返らせてください」
- そこに天上の帝釈天からお告げがあった。
- 「そなたの願いを聞き入れた。須弥山の南に齢8000年の白鵞鳥がいるが、
- この秘術をぬしら親子に授ける。ついては、
- 一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。」
- 大しうはこの教えを繰り返し暗唱すると、この日は正月であったので
- すぐに山を降りて7種類の草を集め、6日の夕方から教えの通り、
- 不思議な心持ちで夜通し草を叩いた。
- 朝になり、東から汲んだ水で炊いて両親に食べさせたところ、
- たちまち若返ったのはいうまでもない。
- これが世に伝わり、噂を聞いた当時の帝はこの親孝行に感動して位を譲った。[1]
すなわち、七草の由来とともに、ここでは親孝行の功徳を説いた話だったのである[2]。
========== (wikipedeliaより)
皮肉にもその日は、親の長寿を願い、親孝行の功徳を詰むべきとされる七草粥の日。私はその日、七草粥を食べたかどうかも覚えていません。ただ、世界がいつもと変わらず廻り続けていることに、どうしようもない違和感があったことだけ、妙にはっきりと覚えていました。
(参考:過去記事)
( vol.2へ続く…)