Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

父が、大好きだった。-Vol.2-

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仏頂面

私にとって父は、厳しくてけして愛想のいい人ではありませんでした。そう、思い込んでいました。どちらかと言えば、仏頂面の人だったと記憶しています。でも、改めて思い出してみると、どうもそうでもないんです。

夜の本堂で遊んだことや、父の背中に馬乗りになったこと。高速自動車道のSAでたべたすごく美味しいソフトクリーム。冬タイヤを交換に行ったタイヤショップの窓から眺める街。父が買ってくれたババロアをプリンがよかったのにと怒る幼い私。褪せたブルーのツナギにタオルを巻いて草刈りする朝。金曜ロードショウの宇宙戦艦ヤマトは、父のススメで電気を消して観ました。4トントラックを運転したときのドヤ顔。思い出の中の父は、意外とよく笑っています。そして私も、一緒に笑っています。そういえばくだらないダジャレにも付き合わされたっけ。そして、メガネを外すと、濃い眉毛と小さな目がいつもより自信なさげに見えました。

 

そうです。

 

私は、父が大好きでした。

 

 (参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

 特別な瞬間は、どこにあるのか

父は勤めており、どちらかと言えば忙しい人でした。私たちが慌ただしく学校へ行く朝は気難しい顔をして新聞を読んでおり、夜、帰宅するのはいつも10時過ぎではなかったでしょうか。思春期や反抗期も重なって、中学になってからはほとんど父と話すこともなくなりました。だからこそ、小さいときの父との日常の楽しい出来事が、私にとって本当に特別な、大切な思い出だったのです。そうです。いつも父と出かけるときはすごく特別な気がして嬉しかった…。不思議なものです。思い出すのは本当に日常的なことばかり。「遊園地に行った」「旅行に行った」そんなイベント的なことではなく、まるで”6月18日木曜日の夜”、のような何でもない一日の、何でもないひととき。それがどうにも愛おしくってたまらないのです。

 

父から教わったことは全て

父の突然の死は、私にとって悲しむべき出来事でした。しかし父の死についての事務手続きや、葬儀の準備などに追われながら、すこし不思議な感覚に気づいてきました。それは、私が父の死をそれほど悲しんではいない、ということです。

私は当時29歳です。十分に大人です。父が他界してもそれほど文句は言えない年齢です。そして不思議なことに、”父に教わることは全て教わった”という確信に近い感覚が、どうやら私にあることに気づきました。父に教わることは全て教わった。だから父に聞きたいことは自分に聞けばいい。私の中に、父はいつでもいるのだから、と。

これは今でも変わらず感じています。正直、たとえば父と「人生について話した」ことは殆どありません。父と暮らしたのは15歳までで、12歳からはほとんど会話もしていません。それでも、父に教わることは全て教わったと、そう思えてならないんです。

 

でもそれが今になってふと、少し寂しく感じるようになったんです。父と話してみたい。父に孫を見せてみたい。

父に、もういちど会いたいな…と。

素直

私は嬉しかったんです。私が、父を大好きだったってことを思い出せて。なぜか私は、父の記憶を厳しいものや乗り越えるものとして遠ざけていたのです。確かに、怒ると怖かったし、叱られるのは嫌だった。タバコの煙も嫌いだったし、背中のニキビを潰させられるのもゴメンです。

でも、父の帰りが待ち遠しかった。日曜日にふと「ちょっとでかけようか?」と誘われるのが何より嬉しかった。父とふたり、父の車の助手席に乗って出かける特別感は素敵だった。

よかった。

私は父が大好きでした。

それが思い出せて本当に良かった。思い出せるほど、素直になれてよかった。

すみません。

この記事はきっと、父が大好きだと言いたいがために、書いただけなのでしょう。

 

私は、父が大好きだった。

 

大好きだよ、お父さん。

 

Unlock yourself.

Unlock your childhood.

 

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