大分・善隆寺法話と熊本訪問①
”ざびえる”
永平寺の同級生であり、一緒に
東日本大震災で活動した仲間である
自覚大道さんのお寺、善隆寺で
春季法要の法話をさせていただいた。
大分空港に着いた途端
「ざびえる」
というお菓子の看板に、あぁ、異国に来たのだなと
旅情を掻き立てられた(笑)
善隆寺さんは
仕事や農業に携わる檀家さんのため
午後と夜の2回の法要を行っている。
よる7時半からの先祖供養は昼間とは違った
なにか厳かさの中にも親しさの感じられる
とてもいい雰囲気だった。
生きているからこそ会える
震災の体験を通じて、こうしてこの場で
生きて相見えるありがたさを
自覚さんとの対話形式でお話した。
僕にとっては
こんなかたちで多くの方に出会えること自体が
あの時助かって、今生きていることの証拠で
ほんとうに本当に嬉しくありがたいことなのだ。
(参考:過去記事)
最後はいつものように「ハグ」で締めようと
思ったが、皆様の年齢を考慮して
みなさんと握手して法話を終えようとした。
するとその中で何人もの方が
ぐっと強く握り返してくれたり
いつまでもいつまでも手を握ってくださったり
大分まで来てよかった、としみじみ思えた。
(泣きそうになった。。)
ご縁という有機ネットワーク
夜の部には
たまたま?熊本に来ていた
友人のダンサーの小田原真理子さんが
熊本地震の被害者でもあるご夫婦に送迎され
善隆寺に駆けつけてくれ、
仏前で舞を奉納してくれた。
真理子さんと僕が話があうのは
お互い「ご縁」という有機ネットワークに
お世話になり倒したという原体験があり
だからこそ心からあたたかい信頼をしていて
そのご縁に「生かされる」「往かされる」ことを
楽しみつつ感謝しているところかもしれない。
(参考:過去記事)
悲しみから大いなる循環へ
いつもながら、真理子さんの舞には
言葉にならない感動を覚える。
しかしあえて言うならば、
悲しみが悲しみの精霊としてそこにあらわれ
その場にいる僕達と感応し合うことで
”悲しみの精霊”がメタモルフォーゼして
”大きな循環の精霊”となって
「大丈夫だよ」と微笑んで
虚空へとかえってゆく。
そんな舞なのだろうか。
皆さんも舞に見入って、
喜んでくださったようだった。
善隆寺の皆様、ご縁のあった皆様
ほんとうにありがとうございましたm(_ _)m
Unlock yourself.
Unlock your life.
(②へ続く)
==================
【 佐藤良規 】
*「津波で生き残った僧侶のほんとうの話」
「生きていることの奇跡」
「ほんとうに”生きる”とは」
「被災地で知ったほんとうのグリーフケア」
などの講話・講演・ワークショップ等のご依頼は
メール bakachin2000@gmail.com
https://www.facebook.com/bakachin2000
法衣無き遊行者@佐藤良規 (@bkcn2k) | Twitter
*プロデュースコンテンツ
< 藤田一照「仏教で人生はもっと面白い!?」>
【ブログ版】
http://fujitaisshopodcast.seesaa.net/
【Youtube版】
https://goo.gl/OUxt6e
====================