問題は、「どう」自分探しをするか
Smells like a teenager
自分探し、という言葉には
どこか青臭さが漂ってくる。
それはまるで10~20代の少年青年たちが
まだ見ぬ(または出たばかりの)
「社会」や「人生」に対して抱く
あこがれと恐れを重ね合わせたものかな。
僕も旅をしていた20代、
まさに「自分探し」の最盛期だったはずなのに
こっ恥ずかしくて
「自分探し中です!」とは言えなかった(笑)
でも、旅をすることは
たしかに”たくさんの自分”と
出会わざるをえなかった。
(参考:過去記事)
自分という多面体
初めての海外は、噂に名高いインド。
そりゃあもう、
見るもの聞くもの出会うもの
すべてが自分の常識外だった。
夥しく、強引にすぎるリキシャーの客引き。
町を闊歩する野良牛たち。
血みどろのように朱に塗られた神々。
切なくもタフな、ストリートチルドレン。
もう、キリがない。
しかし
あらゆる経験、体感は
世界がこれだけ広く、多彩だという
新鮮な驚きと同じかそれ以上に
「自分がどう感じるか」ということを
見事にあぶり出してくれた。
それは自分で思っていたより
自分というのは多面体で
光のあて具合でどのようにでも
見たことのない「自分」という像を結ぶ。
僕にとっては
それが自分探しの原体験だったように思う。
(参考:過去記事)
正調・自分探し
「自分探し」という言葉の響きに
目の前の人生にコミットしない
「甘え」や「ぬるさ」が
挟まっているようだけれど
きっとそれは「自分探し」を
「アタマ(思考)」でやっちゃうからなんだ。
因みに禅仏教においては
「己事究明」
(自分自身のことを徹底的に明らかにする)
ことが、最重要命題とされてます。
ね。
正調(?)「自分探し」は、カラダを張って
自分に色んな経験体感をさせ、
自分が何をどう感じ、そこに何を見るのか。
それを確かめていくことだ。
体験>観察>(次の)体験>観察
このステップこそ、
少なくとも僕の、自分探しなのだ。
本当に生きるとは?
そう問いかけて初めて
自分探しは、始まる。
その問いに出会ったことは
ギフトであり恩寵であり
”御縁”なのだろう。
探しもせずにチャチャ入れるやつは
ほっといて、
今日も自分探しを楽しもう~💫
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