生命のともしびは、風とともに(1)
二人の祖父
僕には二人、祖父がいる(いた)。同居していた父方の祖父と、母方の実家の祖父。その二人の祖父が同時期に他界した。僕が高校生二年と三年のときだ。その二人の祖父の”最期のありよう”があまりにも対照的だった。まだ純朴さだった僕にはちょっと受け入れがたいものだった。そのショックが引き金となって、ホスピスに興味をもつようになったのは大学の時。その時点ではまだ、ショックとしか受け取れてはいなかった。
その、父方の祖父の「死に様」が、今の僕の「”死”の原風景」となっている。
父方の祖父
同居していた父方の祖父は(以下、単に”祖父”と記述します)、今のうちのお寺の先々代の住職。肝臓がんの末期を医師から告げられると「あぁ、そうか。」と頷くと、やることがあるからと言って一切の治療を”明快に辞退”し、寺に戻ってきた。祖母はじめ家族はみんな”何かしら”の治療を受けることを勧めた。医師も、場合によっては相当な痛みも予想されるから、定期的に診察してくれと頼んできたが、それも断っていた。かろうじて近隣に住む看護師さんが毎朝”安否確認”に来てくれた。
変わらぬ日常
寺に帰ってきてからも、朝の勤行と坐禅を毎日続ける祖父。祖母には、「今日はついに声が出なかった…」とこぼしていたらしい。そして日中はいつものように野良仕事しつつ、お盆へ向けて”卒塔婆”書きをしていた。
しばらくたったある夜、
祖父がいわゆる「小僧時代」を過ごした東京のお寺の”娘さん(年は祖父と変わらない)”Rさんが、病状を聞きつけ東京からお見舞いにきてくれた。事実上「お別れ」でもあるお見舞いだ。
(参考:過去記事)
あとは頼んだ
その夜は皆がとても楽しく食べ、飲んだ。近況を言い合い、昔話に花を咲かせ、僕は祖父がとても楽しそうなのが無性に嬉しかったのを覚えてる。
次の日、Rさんが帰ったあとから、祖父は寝たきりになった。高校生だった僕は不思議に思い、祖母に病状を聞いた。
すると…
昨夜、茶の間での会食が終わり、皆が床につき始めた頃。祖父は私の父を呼んで、こう言ったそうだ。
「明日から寝たきりになるから、
あとは頼んだぞ。」
生命のともしびが
寝たきりになってからの祖父は、「痛いとこ、苦しいとこありますか?」と聞いてもただ首を横に振るばかり。お医者さんからは”いろいろな痛みがあるはずだけど…”と首を傾げられる。
僕は祖母と一緒にパンパンに腫れ上がった下半身を拭きながら、これで痛くないはずない…と、恐怖を感じていた。
そして、お盆を目前に控えた8月7日…
(その2へ続く)
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