Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

私は、日本人ではなかった

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パールハーバー

ハワイでお世話になったSさんに案内されて、終にと言うかとうとうと言うか、パールハーバーへ行ってきた。19歳で初めて沖縄に行き、「ひめゆりの塔」で相当なショックを受けた私は、「戦争」というキーワードを無意識の引出しにしまい込み、無意識で戦争に係る場所を訪れていたように思う。

沖縄は激戦地だった。

天国まで続くような青い空。

楽園と呼ぶ以外ない、透き通った海。

そこは少し予想と違った悲しみと安堵がある場所だった。が、たしかにそこに「戦争はあった」のだ。

 

日本か、アメリカか

日本軍がパールハーバーを急襲する経緯を描いた説明用のムービーは、わりと中立的に描かれていた。しかし、決して「戦争がよくない」という論調ではなかった。どちらかが正義であり、悪であるという匂いがどうしても感じられる。それはしょうがないことなのだろう。

パールハーバーはアメリカ人にとって聖地のひとつ。20世紀最大の事件とは?と聞かれたら多くの人がパールハーバーをあげるらしい。実際、多くのアメリカ人が訪れており、日本人らしき(もっと言えばアジア人)人は数えるほど。Sさん言わく、ハワイに来てもパールハーバーを訪れる人は少ないとのこと。わかる気がする。自分たちが「加害者」として「被害者」の国に来てその証拠を見ることになるのは「日本人として」気が進むわけはない。

 

誰が誰を悼むのか

資料館には幾つかの戦死者のポートレートがかけられている。もちろん皆アメリカ人だ。しかし同時に、そのまだ若すぎるポートレートは、私の兼務寺に飾られている太平洋戦争の戦死者である日本人の若すぎる遺影と全く重なって見えた。

沈没したままの戦艦アリゾナの慰霊の間にはおびただしい数の戦死者の名前が彫られ、沈黙を続けている。その慰霊の間の前に立った時に、私にひとつの確信が訪れた。

パールハーバーに関しては日本が攻撃を仕掛け、犠牲になったアメリカ人たちが大勢いる。そのシンボルでもある慰霊碑の前に立つ私は、はっきりと「日本人ではない」と思えたのだ。

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すべての生命を愛おしむしかない

その慰霊の間のおびただしい名前たちは「アメリカ人」ではなかった。私にとってそれは「愛おしいいのちたち」だった。そして私は「日本人」としてパールハーバー攻撃を恥じるより「すべての生命が愛おしい、自分もまたひとつの生命」でしかなかった。戦争の是非は言うまでもない。日本人としての苦悩、アメリカ人としての苦悩もあったのだろう。でも私は、とにかくすべての生命が愛おしくてしょうがない。ただそれだけだった。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

階層を上へゆけ

「日本人」「アメリカ人」「男」「女」「資本主義」「社会主義」いくらでも”カテゴリー”は量産できる。あくまでも「名付けられた」カテゴリー。

物事を分けるそのカテゴリーの、「階層を上へ行く」と、どうだろう。今まで別々のものに”見えていた”1つのこと”が、ひとつ上の階層に行けば、ひとつのカテゴリーに入る。日本人とアメリカ人なら「地球人」。男と女なら「人間」。主義やイデオロギーなら「社会制度」。全く矛盾なく2つのカテゴリーが1つになる。

そうやってどんどん階層を上へ上へ行って行ききったところ。ひとつの”カテゴリー”に収束してしまう。その”ひとつのカテゴリー”はなんだろう。

「神」と呼ばれるのだろうか。「宇宙」と呼ばれるのだろうか。「愛」と呼ばれるのだろうか。

 

私には”そもそも”どんなカテゴリーでもない。

あとから”名付けただけ”なのだ。

 

だから私は日本人でもない。

 

すべての生命が愛おしい、”名も無きひとつの生命体”でしか、ない。。

 

Unlock yourself.

Unlock your life.

 

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