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Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

夕日の下に朝があり、そして僕は優しくなれる

今、生きてるという奇跡 生きにくさ

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球体としての世界

最近、何やらタイに行きたくなっている。タイは初めて体験した海外の地だから、初恋に似た淡い未練のようなものがいつもある。なんだかんだと口実を付けては20回ほど彼の地に足を運んだけれど、ますます未練がましくなるばかり。

思えば海外に出たことで、この世界を「球体として」感じるようになった。地図で見る「世界」はどうしても平板で、あるいはガイドブックは都市ごとに断片化されすぎている。飛行機に乗り、電車に何時間も揺られ、バスで夜と峠を越え、街裏をほっつき歩いて人に出会う。そんな”体験”が知らずにある種の感覚を養ってくれる。それのひとつが世界の”球体感覚”なのだろう。

 

三鷹市中原4丁目

大学の頃住んでいたアパートの近くに、その界隈ではちょっと高さのある(多分5階建て)の集合住宅があった。タワーマンションが当たり前の今と違って、その頃住んでいた三鷹市中原は、まだ畑もあってのどかなところだった。まあ、実際今の三鷹市中原がどうなっているかはわからないけれど。

ともかく、その5階建ての集合住宅の外付けの階段を5階まで登ると、ちょっと見晴らしがよくて、旅好きの友人と何度かそこに登ったものだった。決まってそれは夕暮れで、友人と2人で夕日を眺めながら「今タイはお昼だね」「インドは朝かなぁ」などと、その夕日の真下の国や街を想像しては”旅想い”にふけったものだった。

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むき出しのVOLVO

たまたま目に入ったテレビのスクリーンに、バンコクのワット・アルン寺が映し出されていた。レポーターはタイの首都バンコクの中央を悠々と流れるチャオプラヤ川のボートの上から、バンコクの魅力について語っていた、と思われる。一方僕はその映像から、チャオプラヤ川の灰色に濁った水の匂い、ボートにむき出しに搭載されたVOLVO製の巨大なエンジン音、桟橋に飛び移る足裏の感覚…そんな思い出としてはどうでもいいようなディテールの感覚が、ありありと蘇ってきた。

 

記憶っていうものは、思い出そうとするとなかなか思い出せないものだけれど、ある条件が重なると、その「体感の記憶」がカラダから立ち上がってくる。つまり記憶は「脳」に格納されていて「意思」が出し入れするものではなく、「カラダ」の感覚とともに常にアイドリングしていて、僕たちの日常を駆動しているのだろう。だからこそ「学び」というものも「知識」ではなく「体験」なのだ。経験したことが学びなんだし、学びだからこそ体験はおもしろい。 

(参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com 

夕日の下には、朝がある。

僕らの眺める夕日の下には、どこかの国の朝がある。家の前の路上を掃く老女。ティーポットにお湯を沸かす母親。ブーツの紐を締める父親。まだあどけなく寝息を立てる子どもたち。

僕らの眺める朝日の下には、どこかの国の夕暮れがある。連れ立って畑から家へ帰る家族。夜の帳にまた暖を願うホームレス。眠い目をこすりながらファンデを叩く夜のちょうちょ達。

そう思うことで人はどこか優しくなれる気がする。丸い球状をした世界のこっち側に僕は立っていて、でもそっち側にはそんな人たちが暮らしている。同じ球体の上で、一緒に暮らしてるってことなんだ。

僕は何者でもないかもしれないけれど、そんな想像をすると旅先で出会った人たちはもちろん、この先も出会わないでしまうであろうみんなの幸せを願わずにはいられない。

 

うん。生きてるって悪くない。

なんか、愛おしいな。

 

そう言えばワット・アルン寺は、「暁の寺」という名前なんだけど、夕日に映えるシルエットが美しい。

そろそろ、バンコク行こうかなwww

 

Unlock yourself.

Unlock your border.

 

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あなたの「いのちの灯火」を灯せ

アンロック 今、生きてるという奇跡 震災

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3月が消えてなくなればいい

3月が近づいてくる。これはどうしようもないことだけれど、東日本大震災という大きな十字架を背負った東北の私たちにはどうしても心苦しい季節だ。幸い、わたしはテレビを見る習慣がないからまだマシだけれど、世の中が3月11日に向けて”ざわついてくる”気配だけで、そっと窓のカーテンを閉め、自分の中に閉じこもってしまいたくなる人がどれほどいるだろうと思うと、それもまたやるせない。3月など消えてなくなってしまえばいいと、ある被災者の友人が呟いた言葉が心に残っている。

 

私は坊さんの身でありながら、「法要」というものが苦手です。禅宗の、見方によっては厳格で美しいと言われる所作、作法も苦手。なかでも「法要」という独特の空気感がどうにも苦手なのです。正直言ってやることがそれほど難しいのではなく、どうも「身体」が抵抗するんです。特に、東日本大震災関連の「法要」は。

3月11日界隈には、全国から”被災地に”僧侶や宗教者が集まって来る。それを否定するつもりもないし、それぞれにやったらいい。しかし私のまわりで(つまり東北の被災地界隈で)、「追悼」や「供養」の場に行くつもりだ、という人に会ったことはない。全くない。不思議な話だ。では全国から集まる宗教者が催す「法要」に、誰が参列するんだろう?

 

 (参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

 

命灯会

しかし今回、縁あって(縁にけしかけられて?)東日本大震災の「法要」を行うことになった。それも名古屋を中心に、大げさに言えば世界同時多発的に同じ想いで「法要」をしようと言うことになり、その片棒を担いでしまっている。それは被災者当人ではなく、多かれ少なかれ震災で人生の何かが変わってしまった人たちのための法要となる予定なのだ。

私が檀家さんとともにお勤めする葬儀や年回忌供養などの「法要」も、震災の前後ではわずかに、しかし決定的にその態度が変わってしまった。震災以前は、どちらかと言うと”漠然と死者を向いて”、死者への”手向け”としての法要をしていたように思う。

しかし震災以降ははっきりと、「生者」のための法要としてお勤めしている。そして「態度」こそ、その法要が何であるかを決定づける一番大きな要因なのだ。

 

東日本大震災から丸6年経つ。いわゆる七回忌を迎えることになる。

 

私たちはその法要に「命灯会」と名を付けた。

 

「ほんとうに生きて」いるか?

あまりにも多くのものを失ったあの日。私たちは「生きること」の根源的な何かを否応なく問われてしまった。あまりにも辛く、あまりにも取り返しが付かない。失ってしまったものへの巨大な悲しみが癒えることはないのかもしれない。悟りすました坊さんが「諸行は無常である」「人生とは苦である」なんて東北の地で、言えるだろうか?

(甚大な被害を被った、宮城県本吉町には、津波で亡くなった人と、九死に一生を得た人しかいない。」と、ある人に聞いた。誇張ではあるけれど、ある意味では真実の重さを伝える言葉でもある。私自身、九死に一生を得た側の人間だ。そして全国で、全世界で「今、生きている」すべての人は多かれ少なかれ「九死に一生を得て」いると言っていいのではないだろうか?

あの震災で、多くの人が「生きること」を無条件に問われてしまった。震災以前はあえて問う必要がなかった問い。生きるってなんだ?生きてるってなんだ?生きていくってなんだ?自分は「ほんとうに生きて」いるのか?と。

 

(参考:過去記事) 

satoryoki.hatenablog.com

 

「生きること」を決意した日

最近出会う若い子たちは、真摯に誠実に自分がどう生きたらいいかを問い、問いながら前へ進んでいる子たちが多い。少なくとも自分が20代30代の頃(バブル前後)のうわついた態度とはまるで違う。それは少なからず震災の影響がある。彼らの、何かが決定的に変わってしまったのだ。

それは敢えて言えば”「生きること」を決意した”、と言えるのではないだろうか。それまで世界一平和で世界一治安がよく世界一あ・うんで通じ合う国に暮らしていわば「日常」というルーティンに任せていてもなんとか「生きながらえる」事ができる。そんな日々が終わり、あるいはそんな夢から目を覚まし、ほんとうにどう生きるかは自分で感じ、考え、「生きなければならない」と分かったのかもしれない。

 

あなたの「いのちの灯火」を灯せ

この震災七回忌法要は、あらゆる「法要」の存在意義を問い直す機会だと思っている。それは私たちが震災によって「生きること」の意義を問い直させられたのと同価値なのだ。私たち僧侶が、何をもって「法要」とし、どんな態度で法要を勤めるのか。逃げずに、そこからまた始めなければならない。

私にとっては、もう答えは出ている。「ほんとうに生きること」を決意すること。それが法要の意義だ。それは「ご飯を食べること」「寝ること」「働くこと」も同義なのだ。

「ほんとうに生きる」とはなんだろう?そう問うことから「追悼」は始まり、「供養」はその意義を取り戻す。命灯会、と名付けられた法要で、私たちはたくさんのろうそくに火を灯し、その「場」を共有する。私もそこで、「ほんとうに生きること」の話をしようと思う。そしてその場に集う人は、「ほんとうに生きること」を言葉にし、共有し、確かめあい、励まし合う。そんな「場」になって欲しい。

あの日、私たちの胸の奥底に焼き付いた火種を、自分の手で取り出して、もう一度灯す。灯すのは、誰かのための灯火ではなく、「自分のいのちの灯火」なのだ。

 

(参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

 

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Unlock yourself.

Unlock your light of soul.

 

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聞かせてほしいのは、あなたの旋律なのだ

今、生きてるという奇跡 アンロック

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格好のいいお坊さん、わるいお坊さん

印象的な、2つの現場に居合わせた。ひとつはある「格好のいいお坊さん」。ある若い僧侶の法話。これはしんどかった。若いが経験値の高い、彼。挨拶から法話の内容まですべてあるフォーマットに則ったお話の組み立てでまったくもって卒がなく、隙きもない。完成度(もし、そういう基準があるとすれば)は、高いのだろう。「仏教の智慧」はバランスよく散りばめられ、あらゆる聴衆に差し障りなく、配慮もしてある。感情の抑揚さえ、アンダーコントロール。いうなれば、「格好がいい」。でも、ひとつ問題があるとすればそれは、全く心に響かないのだ。(批判が趣旨ではありません。)

 

もう一つは、「格好のわるいお坊さん」。私がお手伝いしているお寺の葬儀。80を過ぎた方丈さま禅宗では住職のことを方丈さまと呼ぶ)は足腰が不調で、葬儀もなんとか気を張ってお勤めしてらっしゃる。その姿だけでもある"尊さ”を感じるが、でもその日の葬儀はちょっといつも違った。葬儀がつつがなく終わり、いつもなら会場である本堂から出てゆくタイミングで、方丈さまは杖をつきながら故人(Tさん)の祭壇の前へゆっくり進んだ。私も、会葬者のだれもが予期せぬ成り行きを戸惑いの面持ちで見守っていた。

そして…

「Tさん、あなたは本当に気持ちのよい人でした。

 私にいつも優しい言葉をかけてくれた。

 あなたのそのやさしさに私はいつも救われていました。

 ありがとう、Tさん。

 ありがとう…」

方丈さまはぽろぽろとこぼれる涙を恥じることもなく、止むに止まれぬといった切実さで、故人への想いをたどたどしく紡いでいた。ご家族はもちろんのこと、成り行きを見守っていた会葬者の多くの方が涙を拭っていた。

 

(参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

島唄

私の人生を変えた歌の1つ、「島唄The Boom)」。忘れもしない、1992年初夏のある夜、「島唄」は私のアパートの14インチのテレビから流れ出してきた。二十歳の私は引き込まれるようにテレビの前に座り、その旋律に聞き入っていた。テレビ用にショートカットしてあったであろう「島唄」が終わるころ、私はわけもわからず嗚咽を抑え切れず、号泣する自分に困惑していた。リサイクルショップで買った14インチの安テレビ。そのテレビ越しに、「島唄」は私を号泣させた…。

東京出身の宮沢和史さんが、沖縄戦を題材にした「島唄」を東京で書き上げ、発表したのは1992年。当初は沖縄民謡に関わる人たちになどに「沖縄音楽の真似事」などと手ひどく批判されたそうだ。でも2017年の今日、どれほど「島唄」が人の心を揺さぶり、どれほど多くの人に響き、どれほど愛されたかを疑う人はいない。皮肉にも「島唄」は現在では沖縄の人たちにも愛され、沖縄音楽、琉球民謡が世間にその価値を認められるご縁にもなった。沖縄音楽界のレジェンド、喜納昌吉さんは「島唄』を単なる沖縄音楽の真似事、と批判する者もあるが)音楽において、『魂』までコピーすれば、それはもうコピーなんかじゃないんだ」と語り、宮沢さんは大いに励まされたというエピソードが残っている。

止むに止まれぬ想い

もう少し「島唄」の話。宮沢さんは沖縄戦への怒りと、それまで沖縄戦についてあまりにも無知だった自分への憤りなどが「島唄」を書かせた、と語っている。結果的に、この「島唄」を聞いてしまった私は後日、不思議な縁に導かれ沖縄の地を踏むことになる。そして宮沢さんが感じたであろう怒りや憤りを、ひめゆりの塔摩文仁の丘、そして出会う沖縄の人たちを通じて体験することになる。宮沢さんが「島唄」を書いた理由が、もしくは書かざるを得なかったやるせなさが、その止むに止まれぬ想いが、あの旋律には響いてる。

 

 (参考:過去記事)

satoryoki.hatenablog.com

旋律が私を奏でる

祭壇の前で泣いた方丈さまの震える声は、その場にいた多くの人たちの心の弦を爪弾いた。宮沢さんの書いた「真似事」の歌は、世界中の人に愛され、今もどこかで歌われ続けている。

格好も関係ない。真似事だろうと関係ない。年齢も性別も職業も社会的地位も年収も関係ない。その人がどんな人なのかも関係ないのかもしれない。その人が、止むに止まれぬ思いに突き動かされて放つ旋律が、私たちを響かせるのだ。その旋律がどんな響きなのか、自分自身にもわかりはしない。聞いた人だけがそれを証明してくれる。

自分の旋律を奏でるのに、誰への遠慮も要らない。音楽であれ、言葉であれ、作品であれ、自分の旋律に耳を澄ませ、旋律に自分を奏でさせるだけでいい。その旋律に響き合う誰かがきっといる。

 

世界が聞かせてほしいのは、あなたの旋律なのだ。

 

Unlock yourself.

Unlock your melody.

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