Unlock yourself. 自分を”アンロック”せよ

津波から奇跡的に生還した”禅僧”の「自分をアンロック」するブログ。

徹底的に”当たり前”であること

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”宗教者としての”苦悩

前回の記事に書いたように

”お茶っこサロン”という

避難所を始め仮設住宅も訪問し

”友人が顔出してお茶を飲む”という

いわゆるボランティア活動をしていた。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

東北はわりと宗教者(坊さん)への信頼は篤く感じられ

坊さんだとわかると

避難所や仮設住宅でも

仏事や亡くなった方のことはもとより

今現在困っていることなど

ほんとうに様々な話をしてくださった。

 

しかし

 

当の私はというと

 

”聞き役”としての”役割”と”必要性”はわかってはいても

 

状況の凄まじさと

皆さんから聞く悲しみの深さ

同じ経験をした者としての

恐怖と痛みによって

 

この活動を続けるべきなのか

 

そもそもこんなことをしていていいのだろうか

 

宗教者としてすべきことは何なのか

 

終わりのない自問自答を繰り返していた。

 

イスラム教徒としてすべきこと

ある時

連帯東北西南という団体のミーティングに参加し

今では本当に深いつながりの友人になった

タヘルさんという敬虔なイスラム教徒に出会った。

彼はの「ヒューマニティ・ファースト」という団体で

先の阪神淡路大震災新潟中越地震において

献身的な活動をしてきた方。

彼と東北の現状と復興について

語り合ったとき

彼は彼の団体名の由来についてこう語った。

 

「私はイスラム教徒です。

 イスラム教徒としてするべきことは

 ”ヒューマニティ・ファースト”なんです。

 人間性が一番大事なんです。

 困ってる人がいれば助ける。

 ”人としてあたりまえのことをするだけ”。

 それがあたりまえじゃないですか。」

 

私はその単純で力強い態度に

衝撃を受けた。

 

人として当たり前のことをするのが宗教者

津波の経験者として

宗教者として

坊さんとして

東北の住人として

内陸の居住者として

 

”    ”としてという”スタイル”に

 

自ら縛られてしまい

”ロック”されていることに気づかず

 

身勝手に悩み

身勝手に自家中毒

身勝手に悶えていた

 

タヘルさんの言葉によって

眩しい太陽の光の中へ

引きずり出された気がした。

 

アンロックされた。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

 

お坊さんとして何をしたらいいか…

宗教者としてなんて言ったらいいか…

 

そう聞かれることも多かった。

そしてその”問い”に

説明できない違和感があった。

 

また

慰霊法要

慰霊行脚

被災地支援の托鉢

 

いわゆる”宗教者らしい”活動の誘いも

少なくはなかったけれど

申し訳ないけれど

全く行く気がしなかった。

 

 

「人として当たり前のことをするのが宗教者」

 

 

全てが氷解した。

 

”らしさ”など必要ない。

”立場”などあとからでいい。

 

”   ”として何をすべきか。

その”問いかた”そのものが

そんなものすべて

私の”ファンタジー”に過ぎないのだ。

そう、どうでもいいのだ。

 

アンロックしてしまおう。

 

satoryoki.hatenablog.com

 

”当たり前”を、好きにやろう

人として

生きている生命として

生命を生きる私として

すべきことをすればいい。

当たり前のことをすればいい。

 

もっといえば

まことしやかに世に謳われる

あらゆる”らしさ”など

だれかに仕掛けられたファンタジーなんだ。

 

そんなもの”どうでもいい”。

”らしさ”などどうでもいい。

そんなものから生まれる"問い”など

どうでもいいんだ。

 

人として”当たり前”のことを

やりたいようにやればいい。

徹底的に当たり前であればいい。

好きにすればいい。

 

好きにやろう。

 

やっちゃえ、自分。

 

Have a good day, and peace.

  

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