今日が人生の忘れられない日になるために。自分がガッツポーズする「3つの条件」。
ガッツポーズを自分に許す
誰もが毎日を”今日はいい日だった”と思って暮らしたいはず。そのなかでも人生には特別に”思わずガッツポーズしてしまう”ような特別な日が必ずある。そんな日が多ければ多いほど、私たちはより生きることに積極的になるだろう。だって単純に”愉しい”し、”嬉しい”のだから。
ところが、まずは自分がガッツポーズしていいってことを自分に伝えてあげなくちゃならないのかもしれない。ガッツポーズとは、「抑えきれない歓喜をともなう感動」と言い換えてみておきたい。
前の投稿のある方のコメントで、「高校野球時代は、相手に失礼なのでガッツポーズ禁止」だったと聞いて、妙に納得した。この場合はある程度「行為としての」ガッツポーズではあるけれど、私たちはこういうふうに喜びや幸せを表に出すのを好まないことの象徴的な話だと思った。喜びや幸せを表に出すのを好まない、という”謙虚さと抱き合わせ”で、「妬む」という情動もそこには感じられる。その「妬み」のほうが存在感があるから、「相手に失礼だからガッツポーズしない」→「妬まれると面倒だから」という図が透けて見えなくもない。そしてそれは事実上「相手が存在しない」場面でも、自分を”ロック”してしまっている。
幸せになってはいけない
嬉しいことを喜んではいけない
あまり褒められてはいけない
目立ってはいけない
相手がいなくても、そう自分自身に”ロック=制限”をかけてしまっているのだ。
人生がもったいないから
でもです。
自分の人生で「アレはよかったなあ!感動した!」と想い出すものは
思わずガッツポーズしてしまった出来事は
抑えきれない歓喜をともなった感動の経験は
自分にとってかけがえない、”生きる力のわき出す源泉”のようなものだ。
そんな「人生の忘れられない日」は
多いほうがよくないだろうか?
それを自分で”ロック=制限”してしまっては
人生がもったいない!
ガッツポーズする3つの条件
じゃあどんな時、自分は”よっしゃあ!”とガッツポーズするのだろう。
「When いつ?」 だ。
粗粗だがまとめ記事風に”ガッツポーズする3つの条件”としてまとめてみました。
1,誰かがハピネスになった時
2,その誰かのハピネスに、自分が関わった時
3,その「ハピネスが起こった全体の場」の、一部と感じた時
この3つの条件を満たせば満たすほど
私はガッツポーズをしてしまう確率が上がる。
1,だけでも感動はする。友だちが結婚したとか、誰かが病気から回復したとか。でも”抑えきれない歓喜”まではちょっと距離がある。そのうえ、ともすれば「妬み」にすり替えてしまいやすい可能性がある。
2、がこれに加わるとぐっと「感動という体験の厚み」が増す。自分が当事者であるという感覚はたとえばネットで見かける「泣けるいい話」をネットで見て涙を流すより、実際にその体験をした感動は計り知れない。(例えば、以下の過去記事参照)
カラダまで動員した歓喜
3,が起こればそれはもう「ガッツポーズ」そのもの。そこにいる”相手”と、”自分”とが”その場全体の歓喜”になったような(私の個人的な体験で言えば空からファンファーレが鳴り響いた)、ただの感動だけではない。抑えきれない歓喜がおもわず「身体を」動かしてしまうのだ。アタマやココロだけでは抑えきれない。「身体(カラダ)」まで動員した体験なのだ。それはもう相手も自分も、”その場という感覚すらない”ような歓喜。
サッカー日本代表が2002年日韓ワールドカップ初戦でベルギー相手に鈴木隆行選手のゴールが決まった時のように!
何度ガッツポーズしたっていい
もしかしたら、今日が”人生で忘れられない日”になる可能性はある。
それは誰にもわからないが、その可能性はある。
津波で九死に一生を得たこのいのち。
生きている以上は毎日が”ガッツポーズをする”ような”忘れられない日”でありたい。もしその生き方に”自分が舵を切る”ことを怖れなければ、いいだけなのだ。
ガッツポーズを自分に許す。
ガッツポーズが起こる、”実験”を怖れない。
ガッツポーズを体験する。
Yeah!
何度ガッツポーズしたっていい。
何度でもガッツポーズしよう!
今日が人生の忘れられない日になるために。
Unlock yourself. Unlock your life.
すると、次のクエストが待っている。
How どうやって?
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佐藤良規
Sato Ryoki
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