あなたが抱きしめてくれたから、私は坊さんになった
私を坊さんにした「ある出来事」
私は寺に生まれて育ったが
「寺を継ぎたくなかった」し、
「坊さん」にもなりたくなかった。
単純に
寺の息子が坊さんになり
寺を継ぐ、という
他人に決められた人生を生きる気になれなかった。
しかし
後日、結果的に坊さんになってしまった。
それは、ある出来事が
私の中に
ある「種」を植えつけたから
その種が
私の無意識の中でいつの間にか根を張り
いつのまにか「坊さん」へと仕向けた
そんな、ある出来事の話。
その日、2000年4月16日
恩師の一人から
京都でのダライ・ラマ法王の講演会に誘われた。
残念ながら時間が取れずお断りしたが
テレビで講演を生中継するというので
興味深く見ていた。
講演の内容も素晴らしかったが
私の人生を変えたであろう
小さいけれど
強烈な生命力の
小さな種が
私の中に蒔かれた出来事は
その後の"質疑応答"の時に起こった。
ダライ・ラマ法王への「問い」
ある若い女子学生が質問に立った。
ひどくこわばった
青ざめた表情で
マイクを持つ手は震え
しかし
ひとすじの蜘蛛の糸にすがろうと
そんな痛々しいような必死さで
質問に立った。
彼女はまるで
見えない痛みに耐えながら
絞りだすように
とぎれとぎれに
ダライ・ラマ法王に問いかけた。
(内容は記憶によるもので多少不正確です。)
わたしは…
人と会うことがとても…苦手です。
このままでは…いけないと思うのですが
どうしていいか…わからない。
わたしは…
わたしは…
どうしたらいいでしょうか…
ダライ・ラマ法王は、彼女を救えるのか
ダライ・ラマ法王が
この「問い」にどう答えるのか
この女性をどう救うのか?
私はテレビ越しに
ドキドキしながら答えを待った。
ダライ・ラマ法王は
人間が本来持つやさしさについて少し語った。
それが答えか?
そうではなかった。
法王は
言い終わるとふっと彼女の方を向き
Come. Come here.
おいで。こっちへおいで。
と、手招きをした。
質問者の女子学生が
呼ばれるままに
ゆっくりと法王に近づいていく
法王は
ダライ・ラマ法王は
両手を広げ
彼女を
まるで父親のように
当たり前のように
えんじ色の袈裟で
包み込むように
抱きしめた。
えんじ色の袈裟と
ダライ・ラマ法王に
彼女は包まれた。
Don't worry. Everything will be all right.
ちょっぴりいたずらっぽい目で
おでことおでこをくっつけながら
法王は、彼女にそう言った。
だいじょうぶ
だいじょうぶだよ
彼女はまるで
見えない痛みから開放されたように
涙を拭いながら
何度も頷いた。
何度も
何度も
頷きながら
壇上をあとにした。
「救い」ではなく「歓喜」
1,900人の聴衆は
一瞬の静寂と
目には見えない
強烈な振動を共有し
誰からともなく
大きな
大きな
歓喜の
狂おしいほどの歓喜の
拍手が巻き起こった…
その歓喜は
テレビの前の私のなかの
ずっとずっと奥の奥の
強烈に愛おしい気持ちを揺さぶり
寺に生まれたこと
坊さんになること
坊さんとは何か
その全てが
どうでもいいことのように
アンロックされた。
私は
まるで自分が抱きしめられた子供のように
泣けて泣けて
歓喜の中に
泣くに任せていた。
だいじょうぶ だいじょうぶ
私は
この光景を生涯思い出すだろう。
どんな人になりたいか
何が人生の本当の値打ちなのか
あの光景と
あの歓喜を
何度でも思うだろう。
わたしは
ダライ・ラマ法王に「抱きしめられ」
坊さんになったのだ。
あの時
彼女と
私と
立ち会った世界に起こったのは
「救い」などではなく
「歓喜」
そのものだった。
「歓喜」はそこに実現する。
私たちには
そのチカラがある。
世界に
目の前に
歓喜を実現する
そのチカラが。
ダライ・ラマ法王の
無邪気な声が、耳に残っている。
だいじょうぶ。
だいじょうぶ。
Don't worry.
Everything will be all right.