記憶という名のキャッシュ
✳以前走り書いた雑文ですが、旅の車窓を流れる風景に誘われて
若干rewriteしてアップします。列車の旅はいいものですね。
ヨルダンの夕日
過ごした日の数だけ、夕陽はあった。
でも今日の夕陽は人生でいちばん美しい。
なぜなら、誰にとっても
今日しか人生はないからなのだ。
なのにいつか見たヨルダンの夕日を思い出しては、
青春の甘酸っぱい記憶とやらに思いが馳せてしまう。
思いは、勝手に馳せるのだ。
目の前の夕陽を味わうことを忘れてさえも。
Macbookの嘆き
どうにも調子が悪く、買い換えを決めたMacbookは、
どうやらファイルのくずで身動きがとれなくなったのかもしれない。
キャッシュとやらの一時的なファイルでさえ、
溜まってくればそれを生み出したそのものの私自身の自由を奪う。
因果なものだ、といって嘆くことが
また新たな因果になってしまうから、
海援隊の「少年期」 でも歌って
少しの間、卑屈さを楽しんでおこう。
(参考:過去記事)
ところで、帰り道に寄った
いつものテイクアウト・カフェの店員さんは、
いつものように笑顔でむかえてくれた。
この美しい夕日が見れないとしても、
彼女の"今この時の"笑顔は
すっと僕の中に滑り込んできた。
記憶というキャッシュ
いままでが嘘のように生き生きと甦った。
人はどうなんだろう。
むしろ人はその点、いつでもどこでも甦ることができる。
思いが馳せる先が記憶であるなら
記憶は、ハードディスクというよりは
「私」という仮想の貯蔵庫であるキャッシュ。
キャッシュはいつでもクリアできるのだから。
Unlock yourself.
Unlock your cache.