生命のともしびは、風とともに(2)
ともしびは風とともに
寝たきりになって以来、ほとんど会話らしい会話もしない祖父。呼びかけると頷いてコミュニケーションはできる。痛みもあるはず、コミュニケーションもできる。なのにまるで積極的に生きるのをやめたかのような祖父。落ち着かず、何もできないと自分を悔しく思いながらもそばにいると、祖父の大きく呼吸をする音が静けさを伝える。
8月7日。どうも様子がおかしいと看護師さんが少しうろたえる。家族をはじめ、お寺の役員さん、近所の人たちも祖父の横たわる和室の方を心配そうに眺めている。私は今思えばどこか「長男」としての責任を感じ、来たるべき瞬間を見届けなければと思っていた。
呼吸が、少しずつ遠のいてゆく。
不意に、息を吸う営みが止んだ。
痩せた首元の血管は
間隔の遠のく脈をかろうじて打っていた。
ふと気がつくと
その僅かな「証し」だった脈も、
もうそれがどこなのかわからなくなってしまった。
その時
僕には”ふっ”と
目に見えない風が横切り、
祖父の”生命”を運び去ったように感じた…。
あぁ、祖父は逝ってしまった。
僕には、感覚としてわかった気がした。
祖父の生命を運び去った風の感触が
確かに感じられたのだ。
・・・・・
こんなふうに
祖父は静かに旅立っていった。
本堂には、お盆の準備が終えられていた。
死とは、かくも荘厳なるか
高校生だった僕は、その「死」の瞬間に驚きとともに立ち会った。死とは、こんなに荘厳で、威厳のあるものなのか…。
これが、僕の「死」の原体験になった。漠然と死を恐ろしく、避けるべきものと感じていた僕は、事実の全くの荘厳さに本当に胸を打たれた。
(参考:過去記事)
母方の祖父
対象的に、母方の祖父は、長期療養型病院で、ある朝検温に来た看護師さんに亡くなっているところを発見された。
その一週間前に、僕は父母と見舞いに行った。いかにも病院ですといった体のリノリウムの真っ白な壁。あまりの無機質さに「部屋」と呼ぶことも躊躇われる。僕は正直、打ち捨てられた実験室のようだと思った。そこに横たわる母方の祖父は、誰とも知らないい同居人と物も言わず寝入っていた。純粋だっただろう僕は、あまりの淋しさに(祖父の淋しさに)に言葉を失い、帰りのクルマの中で、悲しくて泣いた。
母方の祖父の死を知った時、あの真っ白な部屋に寂しそうに横たわる祖父の姿…いや、あの病院に預けざるを得ない何百の家族たちと患者たちの、もしかしたら病院のスタッフの「どうしようもない感」の総量が悲しくて悲しくて、ただ、悲しかった。
寄り添うこと
片や、家族から近所のひとまで見守る中、荘厳ささえ感じる旅立ち。
片や、あまりに無機的な病室での孤独な旅立ち。
今となれば、よもやまの事情もわからないではないし、旅立つ”本人の”思いも想像でしかない。けれど高校生の僕には、そのコントラストが強すぎる光のように胸の奥底に焼き付いた。そして高校生の僕の感性には、できれば父方の祖父のように、多くの人に見守られ、威厳の中で旅立ってほしいという、”願い”が残った。
これが火種となって、大学在学中に”ホスピス”に出会うのです。その延長で、住職になることを決意し、子どもたちの育つ環境づくりへの関心と、僕のミッションが移り変わってきます。そのきっかけとなった二人の死こそ、祖父たちからの最大の贈り物だったのかもしれない。
ふたりとも、僕を可愛がってくれたなぁ。
おじいさん(父方の祖父)、ありがとう。
じんちゃん(母方の祖父)、ありがとう。
ほら、オレは元気だよ!
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生命のともしびは、風とともに(1)
二人の祖父
僕には二人、祖父がいる(いた)。同居していた父方の祖父と、母方の実家の祖父。その二人の祖父が同時期に他界した。僕が高校生二年と三年のときだ。その二人の祖父の”最期のありよう”があまりにも対照的だった。まだ純朴さだった僕にはちょっと受け入れがたいものだった。そのショックが引き金となって、ホスピスに興味をもつようになったのは大学の時。その時点ではまだ、ショックとしか受け取れてはいなかった。
その、父方の祖父の「死に様」が、今の僕の「”死”の原風景」となっている。
父方の祖父
同居していた父方の祖父は(以下、単に”祖父”と記述します)、今のうちのお寺の先々代の住職。肝臓がんの末期を医師から告げられると「あぁ、そうか。」と頷くと、やることがあるからと言って一切の治療を”明快に辞退”し、寺に戻ってきた。祖母はじめ家族はみんな”何かしら”の治療を受けることを勧めた。医師も、場合によっては相当な痛みも予想されるから、定期的に診察してくれと頼んできたが、それも断っていた。かろうじて近隣に住む看護師さんが毎朝”安否確認”に来てくれた。
変わらぬ日常
寺に帰ってきてからも、朝の勤行と坐禅を毎日続ける祖父。祖母には、「今日はついに声が出なかった…」とこぼしていたらしい。そして日中はいつものように野良仕事しつつ、お盆へ向けて”卒塔婆”書きをしていた。
しばらくたったある夜、
祖父がいわゆる「小僧時代」を過ごした東京のお寺の”娘さん(年は祖父と変わらない)”Rさんが、病状を聞きつけ東京からお見舞いにきてくれた。事実上「お別れ」でもあるお見舞いだ。
(参考:過去記事)
あとは頼んだ
その夜は皆がとても楽しく食べ、飲んだ。近況を言い合い、昔話に花を咲かせ、僕は祖父がとても楽しそうなのが無性に嬉しかったのを覚えてる。
次の日、Rさんが帰ったあとから、祖父は寝たきりになった。高校生だった僕は不思議に思い、祖母に病状を聞いた。
すると…
昨夜、茶の間での会食が終わり、皆が床につき始めた頃。祖父は私の父を呼んで、こう言ったそうだ。
「明日から寝たきりになるから、
あとは頼んだぞ。」
生命のともしびが
寝たきりになってからの祖父は、「痛いとこ、苦しいとこありますか?」と聞いてもただ首を横に振るばかり。お医者さんからは”いろいろな痛みがあるはずだけど…”と首を傾げられる。
僕は祖母と一緒にパンパンに腫れ上がった下半身を拭きながら、これで痛くないはずない…と、恐怖を感じていた。
そして、お盆を目前に控えた8月7日…
(その2へ続く)
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問題は、「どう」自分探しをするか
Smells like a teenager
自分探し、という言葉には
どこか青臭さが漂ってくる。
それはまるで10~20代の少年青年たちが
まだ見ぬ(または出たばかりの)
「社会」や「人生」に対して抱く
あこがれと恐れを重ね合わせたものかな。
僕も旅をしていた20代、
まさに「自分探し」の最盛期だったはずなのに
こっ恥ずかしくて
「自分探し中です!」とは言えなかった(笑)
でも、旅をすることは
たしかに”たくさんの自分”と
出会わざるをえなかった。
(参考:過去記事)
自分という多面体
初めての海外は、噂に名高いインド。
そりゃあもう、
見るもの聞くもの出会うもの
すべてが自分の常識外だった。
夥しく、強引にすぎるリキシャーの客引き。
町を闊歩する野良牛たち。
血みどろのように朱に塗られた神々。
切なくもタフな、ストリートチルドレン。
もう、キリがない。
しかし
あらゆる経験、体感は
世界がこれだけ広く、多彩だという
新鮮な驚きと同じかそれ以上に
「自分がどう感じるか」ということを
見事にあぶり出してくれた。
それは自分で思っていたより
自分というのは多面体で
光のあて具合でどのようにでも
見たことのない「自分」という像を結ぶ。
僕にとっては
それが自分探しの原体験だったように思う。
(参考:過去記事)
正調・自分探し
「自分探し」という言葉の響きに
目の前の人生にコミットしない
「甘え」や「ぬるさ」が
挟まっているようだけれど
きっとそれは「自分探し」を
「アタマ(思考)」でやっちゃうからなんだ。
因みに禅仏教においては
「己事究明」
(自分自身のことを徹底的に明らかにする)
ことが、最重要命題とされてます。
ね。
正調(?)「自分探し」は、カラダを張って
自分に色んな経験体感をさせ、
自分が何をどう感じ、そこに何を見るのか。
それを確かめていくことだ。
体験>観察>(次の)体験>観察
このステップこそ、
少なくとも僕の、自分探しなのだ。
本当に生きるとは?
そう問いかけて初めて
自分探しは、始まる。
その問いに出会ったことは
ギフトであり恩寵であり
”御縁”なのだろう。
探しもせずにチャチャ入れるやつは
ほっといて、
今日も自分探しを楽しもう~💫
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